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ぐわっ

ゆうべ、いきなり前触れもなくパソコンがつながらなくなり、まったく世の中が見えなくなった(笑)。パソコンを買い替えるお金があるかとか、創作も一段落したし、カツジも見送ったし、老後の最終段階の練習で、パソコンなしの暮らしをしばらくしてみるのもいいかとか、例によって四方八方にいろんなことを考えていたら、今朝、パソコン担当者と電話で相談してアドバイスにしたがったら、一発で何のことなく、パソコンは完全復活した。うーん、電子生活はこれがありがたいが、また恐い。一寸先に地獄と天国(どっちがどっちかわからない)が口を開けている。人々の精神がぼろぼろになるはずだ。

パソコンにふれないで、ついでにテレビも切って、読書と片づけにいそしんだ一晩はなかなか楽しかった。「しんぶん赤旗」の日刊だけで世間とつながるのもどうかと思うが、これを何十年かぶりに購読し始めて、最近じわっと気づいたのは、記事はもちろん、エッセイも俳句も読者の投稿も、その他すべてが、どういうか、過去から未来につながって、連続しているということだ。無名の一読者でも皆がひとり残らず、積み上げた、守り抜いた人生の上に今を生きている。その気配が文章から伝わって、自然食を食べたように、心が次第に健全になる。しかし、こういう人たちが今、世界にも日本にも、どれだけ残っているのかなあ。もともと少なかったのかしら。

テレビを見ない時間を過ごして気持ちがいいのも、意外だった。だいたい、世界陸上の中継が終盤にさしかかるにつれて、日本選手ばかりをドラマチックにとりあげて、選手は悪くないのに、巻き込んで涙涙の告白とかをさせて盛り上げるのが醜悪で見てられなかった。どーでもいいけど、私は「なでしこジャパン」というネーミングも花のイメージちがうし、大嫌いだったのだが、「リレー侍」の呼称も、それに輪をかけて安易で即席麺みたいにしょうもない。

だから見ないでいたのだが、今度はその余波なのか、プロ野球の試合でも、妙にアナウンサーが絶叫して盛り上げようとするのが耳障りで、ホークスの試合もあまりに悲劇的な死闘みたいなわめき方をするので、耐えられず消してしまった。そりゃまあ、日ハムもホークスも満身創痍でよれよれで、歌舞伎の「平家女護島」で、憔悴した俊寛と手負いの悪役妹尾とが、ふらふらしながら斬りあう場面を連想したりするぐらいだから、悲劇的要素を盛り込もうと思ったら簡単だろうが、選手も監督も冷静で明るいのに、妙にお涙頂戴にするなよ。ひょっと最終対決まで盛り上がって、どっちかが優勝したとして、お願い、いかに満身創痍でがんばっていたとしても、誰も泣いたりしないでね。ふだんなら別に泣くのはいやじゃないけど、あの報道の臭い芝居に乗せられて、涙を見せたりしないでほしい。意地でもクールでいてほしい。

それより何より気に触るのは、例の「汚染土の捨て場所、皆で考えましょうよ~」という、甘ったるいごまかしの歯切れの悪いCMだよ。実は私も嫌いなCMはいくつかあって、「安全安心!」の生協のお兄さんは最近見ないが、「いいと思います!」という隣の車のCMやら、娘の子宮頸がんの検診を考えるおっかさんの、こいつ娘の受診光景を思い浮かべて楽しんでんだろと言いたくなるような薄っきみ悪い笑顔のCMや、「いますねー、そんな人」としたり顔に言うガキのCMや、全部即チャンネルを変えたくなるぐらいおぞましいが(あくまで好みの問題です)、そういうのはまだずっといいと思うぐらい、あの汚染土CMは、気持ち悪くて吐き気がする。

そんなこんなでクサクサしてたら、いつも行くマッサージ店のスタッフの、かなりベテランらしいお兄さんが、私に「まだお若いからいいけど、その内ひざが弱くなってきたときに」とか言うので、思わず「若くないですよー」と応じてしまったが、あの人私が八十近いって知ってるんだろうか。専門家に若く見られたのかなと、ちょっと浮き浮きしてしまった。でも、よく考えたら、うれしいとは言え、そんな見間違えをする専門家のお兄さんも信頼していていいんだろうか(笑)。

写真は、お花屋さんが猫のカツジ用に作って下さった花束。素敵な紫のカラーは「ピカソ」という名前だそうです。

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カツジ猫