1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. こ、これは…。

こ、これは…。

 ◇今、空いた本棚に本をつめているが、どうも見通しとしては、実家の分の本は全部は入らないような気がしてきた。どうしよう。何かまた大幅に処分するジャンルを考えなくてはならないかな。
 
めいってくると、悪いことばかり連想する。明日は片づけを手伝って下さる方々が何人か来てくれるのだが、初めての人ばかりなので、そんなことはないとは思うけど、これまで片づけをいろんな人に手伝ってもらった時の、最悪だったケースが、妙に思いうかべられてしまう。調子の悪いときってそんなもので、トロイの王女のカッサンドラもどきに、悪い未来ばかりが見えてくる。
 
ひょっとして、いろいろ人のおうちの片づけの手伝いに行く人の参考にならないものでもないから、と口実を作って、これまでのうっぷんをぶちまけると、こういう時に手伝ってくれる人って、愚直に何も考えないロボットのように、言われた作業をどんどんこなしてくれる人が、少なくとも私の場合には一番うれしい。神さまに会ったような気分になる。
 
問題外なのは、何かこんたんがあって、ものをもらおうとか、お礼はしてもらえるのだろうかとか期待しているのがみえみえの人だが、まあそんな人はめったにいない、少なくとも私自身の片づけに直接関わった人の中には、これまでいなかった。それに、仮にいたとしても、こういう人はわかりやすいし、ある意味笑えてほほえましくもある。
 
◇私が一番、神経をすりへらされ、消耗するのは、自分は片づけが上手だと自負していて、自分が最高に仕事をしやすい、能力を発揮しやすいように、仕事の手順を采配しなくては気が済まない人である。「この棚はどけた方が、運び出しやすいんじゃないでしょうか」「これは、この箱にまとめた方が、あとでわかりやすいと思うんですが」とか、勝手にいろいろ工夫したがる。
 
それで能率が上がって仕事が早くなることもあるかもしれないが、それよりも私は無駄をしても時間がかかっても私の指示したやり方でやってほしいのである。それには、説明すれば長かったり事情があって説明できなかったりするけれど、ちゃんとした理由があるし、必然性があるのである。
 
しかし、こういう人というのは、たとえ他人の家でも、たとえたのまれた仕事であっても、あくまで自分の能力を最大に発揮できる環境を整えないと気がすまない。あえて言わせてもらうなら、私はそれは、どこか根本的にまちがっていると思う。その人の能力や実力を十二分に発揮させることが、その仕事の目的ではない。その人の力が半分も発揮できない条件下で、仕事自体も充分な完成度でなかったにしても、それは、そういう仕事としては、まったく問題ないのである。
 
◇言っておくけれど、その人自身の仕事とか、いっしょにやってるプロジェクトとか、そんなことだったら、話は別だ。私もこんなことは言わないし望まない。
しかし、私が誰かに片づけを頼む場合、別にその人に人生や未来を託したり、一端をになってもらってるわけでもない。つまり仕事の全貌は初めからその人には教えていないし、その人もわかっていない。普通感じませんかねそのくらいのことは。自分がその仕事においては、ただの意志のない部品であり、ねじの一個でしかないことぐらい。
 
でも、わからない人は本当に、これがわからないらしい。自分の家のように自分の荷物のように、「一番能率的な方法」を勝手に考え実行する。本当に爆弾でもしかけておいて、手足の一二本ふっ飛ばしてやりたくなる。そうしたら、いくら何でも気がつくのじゃないだろうかと。
 
多分、それで実際にうまく行くこともあるのだろうし、感謝されることもあるのだろう。だが少なくとも私の場合は、非常にいろいろ特殊で複雑な状況の中で、考え抜いて選択しぬいた方法と手順なので、いかに手際悪くて非能率的に見えても、それにはすべて計算がある。だからもう、すべての感覚も理性も殺して、私の言うままに動いてくれるのだけが私の望みなのだ。
 
◇具体的に言おうか。私の家の玄関から書庫に入る廊下は、狭い上に作りつけの食器棚があって、ドアの開く方向もまずくて、玄関から荷物が一気に入らない。一度向きを変えて戻らなければならず、非常にいらない力を使う。
で、まず絶対、ちょっと気のきいた人なら「食器棚を一時的に動かして動線を確保しましょう」と言うだろう。
 
しかし、食器棚にはぎっしり食器がつまっていて危険だ。そう私が言うと、そういう人は絶対に「大丈夫です、そっと動かせば」とか言うに決まっている。実際に大丈夫で、実は私も、ときどき一人で動かしては元に戻している。
しかし、それには一応は危険がともなう。何より安普請なので、棚の裏板がはげかけていて、いずれは打ちつけ直さなくてはならないのだが、いよいよだめになるまでは、できればそっとしておきたい。
 
◇とか何とか、もうぶっちゃけて言うとですね、私は自分一人で仕事をする時は、そのくらいの危険は冒すし無理もするけど、せっかく人を頼んだからには、その人たちに楽をさせるためだけに、そんな手間をかけたくない。
妙に怒って身も蓋も無い言い方しますが、結局のところそうでしょうが、そういう人は。人の家に手伝いに来て、自分が楽をしたいんでしょうが。それはまちがっていると私は思うのです。すごく、わかりにくい理屈かもしれないけど。
 
でも、往々にして、こういう人は「こうした方がうまく行くし、楽ですよ」という自分の発想や提案が「ちょっとそれはねえ、できないんですよ」とか言って否定されると、ずっと未練がましく「こうした方がいいのになあ」って目つき顔つきで仕事をする。それもとっても予想がつくから私はいやでしょうがないの。
だからと言って納得してもらおうとして「この棚は、ここが弱いから、動かしたくなくて」とか、その他いろいろ説明すると、すればするほど、そういう人は食い下がる。「このぐらいの板は外れたら自分が打ちつけてあげます」とか「これはなかなか外れませんよ」とか「雑な仕事ですね、どこの業者に頼んだんですか」とか、どんどん踏み込んで来て決してあきらめない。
 
私はこれ、全部予想と空想で書いてるんですが、こうなることが、ほぼ確実に推理できる。だから疲れる。
で、どうなるかと言うと、私はこんなこと考えさせないために、つけこむ余裕がないように前もって準備をしておくことになる。自分で本を書庫に運びこんでしまっておくとか。別の入り口から本を入れておくとか。どちらもすごく体力を消耗して何のためにお手伝いたのむのかって話
になりかねないのですが、それでもイライラカリカリして精神的に疲れるよりは、まだしも身体を酷使する方がまし。
 
まあ、よそのお家の荷物をかたづける時の何かの参考になさって下さい。もちろん世の中、私のような人ばっかりじゃないとは思いますけれど。

Twitter Facebook
カツジ猫