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ここから手をつけようか

テレビの終戦番組を見ていると、近衛文麿という名がときどき出て来ます。戦時中の首相で、敗戦後自殺した人です。今思うと、この人は亡き母の若いころの「推し」でした。子どものころに私が使っていた二階の小部屋の押し入れに、母が作ったこの人の写真や記事を貼りまくったスクラップブックがあったのを覚えています。

戦時中は朝ドラ「あんぱん」ののぶもどきの軍国少女で、戦後はそれを反省しつつ共産党と社会党以外には投票せず、平和運動にも熱心だった母でしたが、近衛さんのファンだったことは、特に隠しも反省もせず恥じてもいなかったようです。

もともと母は六大学野球や三浦洸一さんに熱を上げ、面食いのミーハーでもあったから、政治的社会的な意識と、近衛さん好きは微妙に「別腹」だったかもしれません。それとも、一貫して和平派で、戦後もその姿勢を保って、でも戦犯にされ、自宅で自殺した、その生涯や姿勢は、どこか母の好みとしては一貫していたのでしょうか。

それなりの思考を持って軍部と対抗しながらも、結果として「何も出来なかった」首相として評価が定まっている人ですが、最近何となく気になっています。

ところで、先日死んだ猫を埋めた庭があまりにも荒れ果てているので、気がとがめていたのですが、朝少し墓の付近の草取りなどをしていたら、伸び放題の木々の枝の刈り込みも墓参りのついでに少しずつやって行けば、けっこう早めにそこそこ見られる庭になりそうな気がして来ました。あせらずに、ここをいい感じにすることから、庭全体の美化も進むのではないかという、楽しい展望が生まれて来て、何やら愉快になっています。いいきっかけになりそうです。

そして今日はまた、以前カツジをかわいがって下さっていた方がお墓参りに来てくださったのみか、人間なみかそれ以上の立派なお花のお供えを持って来て下さって、恐縮しました。
 猫の分際でカツジのやつ、本当に今ごろ、つけあがっているだろうなあ。何しろ、うちに来て間もないころ、先住猫のシナモンをいじめるので、寝室からしめだしたら、いきなり両手(前脚ね)で顔をおおって椅子にまるまって、一日起きても来ないほど落ち込みやがって、私は皆に、「どうやら自分が私に一番好かれてると思ってたのが、そうでもなかったのがショックだったらしいんだけどさ、言わせてもらえば、私そんなにあいつに思われるようなこと、絶対ひとつもしなかったはずなのよー。勝手にうぬぼれて、勝手に裏切られて、どん底まで一直線に落ち込むなんて、何を一人相撲してんのよあいつはもう!」と愚痴りまくってたんですよね。

十六年も暮らす内にさすがに神経も図太くなって、たまに私に「うるさいよ」とすげなくされると、落ち込んでどっかに行き、しまったと思っていても、わりとすぐ、しれっと何ごともなかったように戻ってくるようにはなってたんですが。

でも、本質は変わってないと思うのよね。調子に乗るのも、つけあがるのも、うぬぼれるのも、いい気になるのも。死んじゃったぐらいじゃ、きっと。いただいた花をうっとりながめて、「僕って特別。こんなお花もらった先輩たちなんかいない」とか思ってるに決まってる。フェイスブックでもメールでも皆さん、さまざまにとても悲しんで下さって、飼い主の私がそれほど嘆かない分、皆さんのおことばに、きっとるんるんしてるんでしょう。

シナモンよ、キャラメルよ、おゆきさんよ、その他大勢のあの世の先輩猫たちよ。どうか「主に最も愛された弟子」みたいな鼻持ちならない顔であいつがそっちに行っても、アホと思って笑って受け入れてやって下さいね。

とにかく、いただいたお花は、あいつが庭から見えるところに、今はそっちを向けて置いてやっています。夜は庭を照らす灯りもつけてやっています。
 なんかもう、腹立つなあ。

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カツジ猫