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猫の遺品整理

共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の日曜版は、日刊紙に比べるとかなり雰囲気がゆるくてそこがまた楽しいのだが、今日の読者の文芸欄に、「踏まれても踏みつけられても諦めない平和つらぬき舞うカチャーシー」などの短歌や「風鈴やうたたね誘う風の道」などの俳句にまじって、「怖すぎて森のくまさん歌えない」の川柳があったのには、不謹慎だし笑い事じゃないとわかっていても、でも身につまされて、相当笑ってしまった。まったくだよ。

日曜版で毎回胸にこたえるのは戦死した画学生たちの遺した絵と彼らについて語る、窪島誠一郎氏の連載「無言館のうた」だ。名家の出や貧困家庭など経歴もさまざまな若者たちが、同じように絵や彫刻にあこがれて、修行しつつ、才能を開花しかけた中で出征によって中断され帰らぬ人となった残酷さが、悲しすぎるし美しい。彼らと残された人々について、これだけの話を毎回伝えてくれる窪島氏の文章もまた、静かで熱くて、素晴らしい。

先日死んだ猫のカツジの遺した、エサだのキャリーケースだの食器だのつめとぎ(未使用)などを、かわいがって下さったいろんな方にさしあげたり、こわれたり古びたりしたものは処分したりして、部屋の中からほぼ彼の思い出の品は消えました。

クールやなあとあきれられそうですが、何しろ私二十五年ほど前に亡くなった愛猫キャラメルの使ったものがなつかしすぎて、爪とぎ板からトイレのケースまで、捨てられずに二十年以上保管していて、まだ家のどこかにあるのではないかしらん。そうなるよりはいっそもう、使ってくださる人にさしあげた方がと思った次第。

カツジは猫じゃらしもいただきものや私が買ったのや、ずいぶん持っていました。それで遊ぶのもけっこう好きでした。でも私は忙しいのと疲れていたのとで、ほとんど遊んでやれなくて、それだけは今も気がとがめています。片づけようとしたら、ほとんど全部が羽がもう劣化してぼろぼろになっていて捨てるしかなく、悪かったなあとあらためて思いました。

でも、その分、お留守番を頼んだ方々が、いつもこれらを使ってみっちり遊んで下さったようで、カツジはそれをとても楽しみにしていたようです。うれしそうに目を輝かせてじゃれている動画や写真も残っています。
 自分のサービス不足を反省しながら、そうやって皆さんに遊んでいただいたことが、カツジだけではなく私にとっても、本当に救いになりました。どんなにお礼しても足りないぐらいです。

カツジの死ぬ数日前に、首輪と迷子札を外してやりました。ネットで注文したなかなか立派な首輪だったので、そう古びてもいなかったけど、人にはあげられそうもなく、いっしょに埋めてやろうかなと思いつつ、ついそのへんに置いたままにしていました。

カツジは私に抱かれたり身体の上で寝たりするのは好きでしたが、いっしょにふとんに入るのは長毛種で暑かったのか、しばらくすると出て行って、頭のそばや足元に寝ていました。目が合って呼ぶと、すぐに来るので私はいつも笑いましたが。
 風邪気味で熱があるときなど、私はカツジのしっぽをつかんで寝ることにしていて、彼はそれは別にいやがりませんでした。
 彼を埋めてから一人で夜を過ごすとき、やれやれこれからバテて寝るとき、あのしっぽはもうつかめないのかと思い、代わりのキーホルダーのしっぽでも買って来るかとしょうもないことを考えています(笑)。

枕元に積んでいる本の上に、面白半分いつも小さなぬいぐるみを載せていて、うさぎやカエルやいろいろなのですが、たまたまカツジの最後の日々には、ネットで衝動買いした猫のぬいぐるみを置きっぱなしにしていました。ぶさいくな顔で、特に思い入れもないぬいぐるみでしたが、ひょっとカツジの首輪の保管場所にいいかもと思って迷子札ごとつけて見たら、妙にしっくりはまりました。目つきは悪いし、しっぽも短く、カツジとは似ても似つかない猫なのですが、ついそのままに枕元に座らせて、カツジの代わりになでています。

まあそんな風で、部屋はのろのろと片づいています。庭と同様、いろんなアイディアだけは次々湧いてくるので、何とか週末までには下の家だけでもきれいにしたいのですが、どうなるかな。

これがその、例のぬいぐるみ。まるでカツジと似ていないのが、かえっていいと思われませんか?(笑)今、つけっぱなしのラベルをみたら、これの商標は「ぶさかわブッコ」って言うんだわ。

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カツジ猫