こっちが恥ずかしい
ジャニーズの二回目の会見が、何だかおかしなことになってるとは思っていたが、ありとあらゆる点で目をおおうような猿芝居だったようで、あれだけの大規模な犯罪を犯して隠した集団ならではの、反省なんか何もしてない、そもそも自分たちのしてきたことの意味がさっぱりわかってないのが、ありありとわかるていたらくに、まるで、不思議の国のアリスかキャッチ22の世界に迷い込んだような気分になってくる。そして、これはそのまま、今の日本の政治経済マスメディアあらゆる方面の縮図だか雛型だかに思えてくるのが、何だかもう、やりきれない。
私は自分の専門の仕事をしなくちゃならない状況なのに、読んで下さる人もそれほどいないような、しょうもない小説をせっせと書いてて、なかなかやめられないで困ってる。でも考えると、そうでもして、もう人間関係でも政治関係でも、まっとうなちゃんとした生き方や考え方は本来こうではありますまいか、こうあるはずだよねえということを、空想の世界で再確認しておかなくては、何が普通でまともかということが、だんだんわからなくなってしまいそうだからってこともあるのかもしれないと最近思いはじめた。現実逃避なんかじゃない。現実がゆがんで、腐って、手がつけられなくなってるからこそ、架空や空想で、人としての、世の中の、あるべき姿を具現化しておかなくては、もののかたちも姿も忘れてしまいそうになるからだ。
まったく、私が一番欲求不満なのは、本来私は、ぶっとんだ、変な、非常識な生き方が好きなのに、こんなに普通のまともなあたりまえのことが、すべて消えて行ってしまったら、そういう「まともじゃない」生き方ができなくなっちゃうことなのかもしれない。「まとも」や「まじめ」がなかったら、「まともじゃない、ふまじめな生き方」も、おのずとできなくなっちゃうのよ。
とは言いながら、涼しくなって、毎日が快いから、短い人生、こういう快適な日々を楽しまないとという気になって、するべき仕事がちっとも片づかない。今日はようやく、夏用のベッドカバー代わりの布を洗って干して、ささやかに奥庭の草取りをして、スーパーで今年初めての柿を買ってきて食べた。明日は、たまった手紙を書いて、机の回りを片づけないと。そうそう、スーパーにあったクリスマスケーキのパンフレットをかっぱらって来たから、そろそろ、選んで注文しないと。
適当に植えたヒマワリの、てっぺんの大きな花はもうしおれたが、茎の途中に小さい花がいっぱいついて、咲き出している。ヒマワリって、こんなんだったかしらと、首をかしげている。今まで庭に植えたことがなく、何だか力強くて大ざっぱでダイナミックな花と思っていたんだけど、意外と可憐で面白くってかわいいのよね、ヒマワリって。