さみ~
さみーよー。昨日よりあったかくはなってるらしいんだけど。
サーモンのさしみが妙においしくて、うっかり昼ご飯を食べすぎ、ばてて寝てた。ようやっと起きて、洗濯物を干したついでに、昨日ここで書いたことなど思い出して、はさみをつかんで、庭の枯れた花を刈り込んだ。雑草かと見えて、いつからかどんどん広がって見事な黄色い花むらになり、切り花にしても長持ちして香りもよく、大いに目を楽しませてくれたのだが、さすがにそろそろ枯れてしまったので、そばの菊の花の枯れたのといっしょに、とにかく一気に全部刈り取った。根は残しているので、いずれまた咲き広がってくれるだろう。雑草も防いでくれるから悪くない。刈った草は柿の木の下に積み上げた。肥料になってくれないかしらん。
本当はそのあと、上の家に行って、吉原細見をさがしたり、授業のテキストをそろえたりする予定だったのだけど、つい庭に長居しすぎて凍えてしまい、暖かい部屋に逃げ戻って来て大相撲を聞いている。温まったら夕食を食べてまた本探しに挑戦しようかと思うけど、どうなるかな、そのまま沈没しそうな気もする。
これも昨日ちょっと書いた文庫本「三つ編み」の話。インドとイタリアとカナダの現代女性の三人が、会ったこともなく知らないままに、髪の毛をよすがにつながって行く話だ。ちょっと「めぐりあう時間たち」(好きなのです、映画も本も)を思い出しながら買ったのだが、あの作品ほどに優雅でゴージャスで細やかにデリケートじゃなく、もっと粗削りでダイナミックで大味で、それがまたよくて、悪くなかった。特にインドの賤民?階級の女性の話は、これ現代の話かとびっくりするほどのすごさで、身分差別も女性差別もとんでもなくて、まるで「家畜人ヤプー」の世界じゃないかと思うほどだった。これが実態なら勉強になったし、たくさんの人に読んで知ってほしい。
とは言っても、そこまでひどくない、イタリアやカナダの女性たちも人権や平等が認められても、それぞれに苦しい戦いの日々を過ごしている。決して悲惨でも暗くもないし、力強い明るさや楽しさもあるのだけど、日常も突然ふりかかる不幸も、まったく油断ができない。もちろん女性だけが大変なんじゃないけれど、どんな環境でもくじけそうになりながら、がんばるしかない人たちの特別ではない毎日が、わかりやすく迫ってくる。
で、あとがきで、この作者に、舞台をが日本だったらどんな問題をとりあげるかと聞いたら、「職場での女性のお茶くみ」だと答えたのが、これまたぐっと来た。前にもちょっと書いたけど、ほんとにこれって、薄気味悪い風習なのだよ、少なくとも私にとっちゃ。ひとつまちがえば、周囲から公開レイプされて殺されるインド社会のすごさと、大して変わらんような気さえする。