地味にゴージャス
ゆうべから、めっぽう寒い。くしゃみがやたら出るし、風邪薬を飲んだら体調がいいので、やっぱり少し風邪気味なのかな。
エアコンもフル稼働中で、猫のカツジはベッドで寝こけているけれど、こんな寒い夜に野良猫たちはどうしているのかと、何となく気が気でない。数年前に無責任きわまる餌やりの方々のおかげで、この地域では被害が多く、私の猫への愛情も実はそれ以来地に落ちて、動物保護や愛護関係のささやかな協力も、いっさいしなくなってしまっているのだが、その記憶も薄らぎ始めているのだろうか。私は昔から、決めたり切り捨てたりしたことは何があろうと死ぬまで変えないのが癖なのだが、こんな感情は時間とともにすりきれて薄れてもいいような気がちょっとしている。
それにしても、世の中が目まぐるしい。前から大嫌いだったアサド政権が崩壊し、福岡の高裁では同性婚がしっかりと認められ、ノーベル賞の授賞式での被爆団体の方々のメッセージや矍鑠とした姿には高貴なものさえ感じたし、はげまされることも多かった。あ、韓国の大統領の弾劾も成立したし。
その一方で国会での質疑はこまめに不愉快だし、言いたいことがあふれかえるし、欲求不満ではちきれそうだ。
どうということないやりとりの中で、石破首相が地方都市の人口を増やすために、たとえば女性に定着してもらうには、どういう魅力を作ればいいのかが課題だとか言っていた。それはまあいいのだが、それに誘発されて、少し前にNHKの朝のバラエティー番組でやっていた、「女性にとって、田舎はどれだけ住みにくいか」について、赤裸々な声が語られていたのを思い出し、首相も政府関係者も、まずはそれを見ろやと思ったりした。
結婚しても独身でも、田舎にいると女性は周囲から結婚や子作りについて、普通にしつこく聞かれ、あらゆる場所で男性が優先され、男女の役割分担が当然で、やりきれないし息が詰まるし、住んだり暮らしたりしたくないという訴えがFAXやメールで大量に寄せられていた。どの発言も、切れば真っ赤な血がほとばしりそうな、切実さと生々しさがみなぎっていた。
今でもそうなのだろうと思うにつけ、何十年も前、私自身もいろんな局面で体験した、あきれるやりきれなさを思う。
見るからに古色蒼然とした保守的な人たちが言ったりしたりすることは、予想もできるからまだ気にならない。たった一例だけあげとくと、いわゆる女性の権利を守ったりのばしたりする機関や組織でも、しれっとしょうもないことがなされるのが一番がっくり絶望する。私は「働く婦人の家」という市の施設で、運営委員を一時していたのだが、びっくりしたのは、その会議でも、お茶を運んで来た事務の人が、席順にも年齢にも関係なく、男性の委員にまずお茶を配って、それから女性に配ったことだ。私はおとなしくないから、あとで、「あれはちょっと」と文句をつけたが、他の人たちは男女を問わず、だーれも気にした様子もなかった。
あ、もう一つ言っとくと、教育実習のときに、附属高校にご挨拶に行ったら、そこの席で、大学から行った実習生の中の女子学生だけが、うやうやしく皆にお茶を配り、男子学生たちはどかっと座って、そのお茶をずびずび飲んでいた。そのときも私は最後の感想の中で、「女性だけがお茶をついでいるのは見よいものではありませんでした」と言って、あとでそこの先生(男性)から「やられましたなあ」と一応おわびか反省かみたいなおことばをいただいた。
でも更に私を激怒させたのは、その実習生の中にいた私の指導学生の男子が、あとで私に、「あれは附属高校の指導の先生(女性)が、そうするように指示したんですよ」と弁解めいた説明をしてくれたことだ。もちろん怒ったのは彼に対してではない。教育実習の指導を担当する女性教師が、そういう指導をしたことに、私は底しれない闇を感じて、表には見せなかったが、ほとほと逆上した。
田舎ってそうなのですよ。エリート校とか言われてる附属学校でもそうなのですよ。今はどうだか知りませんが、ほんともう、救いがありません。古色蒼然が根強すぎます。
そう言えば、最近特に、自民党や維新の首長や役職者や、検事局の偉い人やらが、皆軒並みにめっちゃ不倫や強姦や性犯罪を犯して、さほどおとがめもなく生き残っているのも、おぞましくて汚らわしくて、こんな社会に生きてるのもうっとうしくなるのだが、しかしこれは、どなたかもどこかで書いておられたように、学校でのいじめと同じく、これまでも山ほどあったが表に出て来ていなかったのが、ちゃんと指摘や告発や注目やされるようになったから明らかになってきただけかもしれないのが、救いなんだかどうなのか。そう考えると、これはこれで、前進してるし、あと一息って面もあるのかしれないが。
軍事費を税金で取るとか、まだまだ言いたいことがいっぱいあるけど、きりがないから、このへんで。もっとくだらないことや楽しいこともいろいろ書きたいんだけどなあ。
そう言えば集中講義ももうすぐ終わり。何とか無事に進んでいる。受講生の小レポートもこのところ、えらく充実して来ていて、ついつい読みふけってしまい、まとめる時間がなかなかとれないのがくやしい。
その中で、何人かの学生が、小中高でいろんなことを教えてくれた先生のことを書いている。それが妙に心を打つ。たくさんの教師がそうやって、いろんな知識や考え方を学生に与えてくれて、それが今でも彼らの中にしっかり根付いて残っていることが、ありがたいし、力強い。その先生方のお一人お一人に、そのことをお伝えしたくてたまらなくなる。
グロリオサの花がしおれたので、新しい花を買って来た。雪のように清々しい純白の花だ。グロリオサといっしょにしていた、つつましい花も、まだ元気があったので、短く切って花びんにさしたら、これがまた、なかなか感じがよくて、地味なみたいでゴージャスで、何だかうれしいじゃないか。