しまりのない口
これだけ雨が降って日も照って花も咲きまくるんだから、カマキリの卵だって孵っていいと思うんだよね。
少し前に、庭の木を切りまくったとき、気をつけてはいたんだけど、カマキリの卵がついていた枝を切ってしまったことにあとで気づいて、その枝だけは地面にさし直したり、枝から落ちたのは、花の支柱にはさんどいたりした。
ちょうど目の高さだもんで、ひょっとしたら孵化の瞬間とか見られるんじゃないかと、毎日ながめてるんだけど、さっぱりその気配もない。
もしかしたら、死んじゃったの?とか、なーんとなく、焦ってる。
予告した童話「ツィーゼルちゃん」の、イースターの場面の挿絵。幼い私の記憶にもそりゃ残ってたはずで、この童話、イースター関連の話がけっこう長くて多いのよ。ドイツじゃ大きな行事だったんだなあというのが、あらためてわかる。
ただし、私はこの童話、愛読してはいたけれど、ものすごくはまって好きだったわけでもないのね。うまく言えないけど。ケストナーの「飛ぶ教室」なんかもそうなんだけど、どういうか、子ども相手の童話なのに、子どもをバカにしてるところがあって、それが子どもながらにわかるのよ。まじめにちゃんと、大人扱いしてくれてないの。これについては、機会があったら、また書きますけど、「子どもの味方」を変にアピールするし、膝を曲げて、同じ高さの目で、子ども目線で話してますって態度が、私みたいな子どもから見ると、かえって、すごく鼻についていやだったんだよなあ。いろいろと。
でも、そうやって、バカにされてることがわかっていながら、楽しんでもいたから、このへんが微妙よね。
ウクライナ情勢だけど、プーチンがこの戦争でやったことの罪は、数え切れないぐらいあるけど、そのひとつは確実に「核兵器を使うぞ」って脅しを、バカな指導者が平気で口にすることができるようになったことだよね。私は北朝鮮こと朝鮮民主主義人民共和国を何でも悪者にするのは嫌いだけど、あそこの指導者が平気で核を使うの開発するの日米韓に対抗するのに役立てるみたいなことを、口のたがが外れて言えるようになったのは、絶対にプーチンがやたら核兵器の脅迫をちらつかせはじめたのが引き金だよ。
世の中には、言っちゃいけないことがあるわけで、「核兵器使うぞ」は、戦後は(って戦前はなかったわけだし)タブーだったはず。それをプーチンが破ってのけた。虐殺やレイプや拷問は、一応、「やってない」「ウクライナの捏造」とか弁解してるけど、弁解するだけ、やっちゃいかんことであるのは一応ルールを知ってると認めてるわけで、「レイプの何が悪い」「拷問の何が悪い」とは、さすがに言わないわけでしょ。言えないというか。
でも、「核兵器使うぞ」は、それと同列の禁句だと思うのよね。人間おかしなもので、口で言ってるとほんとにだんだん平気になって、実行するのも抵抗がなくなる。言霊信仰するわけじゃないけど、そういう点でも口に出させちゃいかんのよ、この手のことは。
日本が被爆国だから、さすがのアホな指導者も、それは言えないのが、まったく尊い犠牲の上に成り立っている幸福だけど、バカの口はもともとしまりがないからねえ。それをゆるゆるにしたってのが、プーチンの許しがたい罪悪のひとつだって、このごろ毎日思っています。