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ぜいたくってやつぁ。

◇台風が近づいているらしくて、避難勧告とか警戒警報とか出たりしてるらしいんですが、今のところあたりはしーんと静かです。雨もぱらついたかどうかって感じ。何でも力は弱まって、自転車なみののろさでやって来ている台風らしくて、まあそんな風で終わってくれたらいいけどなあ。今日の午後の九条の会をやったコミセンは17時で閉館だったし、ジムは明日は13時からしか開かないそうです。

◇ゆうべから、いやその前日から書けなくてもんもんとしたまま、今朝になって、まだ書けなくてふて寝していた、九条の会のチラシの原稿が、持って行きますと言っていた会議の1時間前になって急に頭の中でまとまって、30分ぐらいで一気に書けました。でも小説や論文や芸術作品じゃあるまいし、こういうのは、どうもまずいなあ。もっと平常心で淡々とこなせるようにならないと、身も持たないし、仕事にならない。

9日に赤間駅でこのチラシはまく予定ですが、早めにこちらでアップしておきます。苦心したわりには、どうって出来でもないじゃないかとか言わないで(笑)。この長さに言いたいことを押しこめるのって、けっこう大変なんですよ。

◇私は洗濯や料理に比べて、家の掃除はあんまりしないんですが、最近たまたま何度かまめに掃除機をかけたら、床がつるつるになって足の裏に吸いつくような快い感覚が何とも言えず、ちょっとほこりや砂が感じられたらすぐ掃除機をかけるようになってしまいました。この快適さはほんとうに、ぜいたくとしか言いようがなく、でもそのぜいたくを味わうためには、勉強や通信や読書や娯楽に使う時間を犠牲にするしかなく、でもそれだけの価値はあるよなと思いながら、上等のお菓子を食べたりゴージャスな洋服を買うような思いで、毎回掃除機をかけています。マルクスの言うところの労働の価値みたいなものを変なかたちで、ひしひしと実感するなあ。これを使用人や妻にまかせて、あたりまえと思っている人は幸福っちゃあ幸福でしょうが、それを自分の手で作り上げる実感を得られないという点では不幸かもしれないとさえ思います。まあそれ言うなら、洗濯も食事も庭仕事も家事は全部そうなのでしょうが、ほとんどセックスと同等のような充実感と快感が、と言ったら言いすぎでしょうか。言いすぎだよね(笑)。

◇「ダウントン・アビー」のDVDを返しに行ったら、せっかく戻っていた「ハワイ50」が、また誰かに借りられていて、「リゾーリ&アイルズ」は、どこまで見たかがよくわからず(笑)、しゃあないから、ずっと前に見て、ほぼ忘れていた「ダウントン・アビー」の第一シーズン4巻を借りて来ました。タイタニックの事故で相続人がいなくなったピンチから始まるこのスタート、トーマスもウィリアムも、目を見張るぐらい若いなあ。女性陣はあまり変わってない気がするけど。それに伯爵がまだ堂々と家長らしくカッコいいのが、昨今のていたらくを見ていると、妙に笑えて困ります。マシューとブランソンはまだ登場していない。それも楽しみ。

◇「ヴァインランド」に続いて読み出したバオ・ニンの「戦争の悲しみ」は、私が大学時代によく知っている、ベトナム戦争とその後が舞台なのだけれど、めっちゃ長編の上に、さすがに「ヴァインランド」ほどわけわからなくはないけれど、戦争の無惨さ苛酷さが、もうそれこそ肌の毛穴から爪の中までしみこむように、あらゆるかたちで描かれていて、何となく同時代の疑似体験で知っていた気がする戦争なのに(何しろ毎日大学で、ベトナム人民支援のデモやスピーチやビラ書きをして、どこの戦闘がどうなったとか逐一新聞で読んでたから)、うわあそうだったのかそうだろうよなあと、あらためてまざまざと実感することばかり。アメリカ側から描いた映画「プラトーン」を見たときに感じた現場のリアルさが、さらに何十倍にもなってせまってきて、はっはっと過呼吸になりそう。

息抜きに、同じ一冊に収録されてた残雪という中国の作家の「暗夜」という散文詩のような短編集をのぞいてみたら、これがまた、しびれるような暗さと無気味さの隠隠滅滅ぶりで、でも何となくやめられない。というわけで、なんかこう、映画の「めぐりあう時間たち」で、読書好きの主婦がベッドで小説(「ダロウェイ夫人」だよ)読んでて、ざぶーんとベッドごと波にひたされるイメージの映像があったけど、あのようにベッドで読んでは泥水の中に沈んで行くような感覚を味わっています。まあ、こんなことばかりしているヒマに、もうちょっと本来の仕事もしないと。

と言いながら、明日は台風で涼しそうだし、上の家の二階の洋服の整理をして、ブログではシールズのことも早く続きを書きたいのだよな。何でこう、したいことばっかりなんだろう。

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カツジ猫