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そらあんた。

◇家は少しずつ、あくまでも私基準だが、快適に片づき続けている。ただ、このペースで遅すぎないのかどうか、よくわからない。多分、遅すぎる(笑)。前進はしているが、全体像が見えない。極端に言えば、死ぬまでにやることのペースとして、これでいいかどうかが怪しい。
私はいつでも、環境を整えるのに長くかかって、それが完成したときには我ながらとんでもないぐらい仕事をする。だが、この年では、下手したら前哨戦が終わって、環境が整った時に、もう決戦に臨む体力が残っていないのではないかと思う。そうなったら、わびしいなあ。いくら快適な状況になっていても。そのくらいなら、ごみの中で戦いながら倒れた方がいいなあ。
まあ、どっちもいやだけど。

目的地についたときに、そこでもう何もできずに死んでしまったとしても、そこまで行く旅の途中は楽しかったから、それでいいということは言える。しかしまあ、できれば目的地に着いてから、そこでしばらく望むことをしたいではないか。私の場合、研究とか思索とか執筆とか、そんなんだけど。

ただこれがねえ、飛行機に乗っていきなりぽんと目的地に着いても、そこで考えたり書いたりするネタって、あんまりないんだよきっと。でれでれぐずぐず足を引っ張られながら、青息吐息で遠回りして着くからこそ、書くことも生まれ思い出もでき、そこの景色も生活も楽しめる。それはそうだが、今の私のこのペースでは、目的地に着く前の、どこかの木陰か水辺かで、息絶えて、旅の途中でくたばりそうだ。
そうなるのと、目的地には着いて快適な生活はできて、でもそこでふり返るものも考えることも判断の基準も何もなくて、生み出すものもないままに楽園をうろうろ歩き回るというのと、どっちがましかというと、まだしも前者なのかもね。

◇昨日は田舎の家に帰った。人に貸しているが、まだ私が使える物置きを、図書室風に快適にしようとして、カーテンをつったり絵をかけたりして奮闘した。借りて下さってる方が、途中でお茶とごはんを差し入れて下さって恐縮した。夜になって、戸の外でにゃあにゃあと声がするので、開けてみたら、そこのおうちの、ウサギも狩ってくるという、強力な牝猫さんで、さっさと部屋に入って来て、私が呼んでも目もくれず、そのうちどこかに行ってしまった。おうちの方が、その内出てくるでしょうからとおっしゃるので、母家との渡り廊下を戸を開けたままにして帰った。いつか、なついてくれるといいけど、めったに帰るわけではなし、まず絶対に無理だろうなあ。でも姿を見せてくれただけでもうれしい。

一日雨模様だったが暖かく、母たちの墓に行った時だけ、妙に晴れて日が照っていた。去年の暮れに供えたスターチスの花がまだきれいに元気だったので、新しいストックやカーネーションやフリージアと入れ替えて、スターチスは持って帰って、こちらの家の玄関の水仙が、ちょうどしおれたところだったので、入れ替えた。

◇なかなか読めなくてたまっていた新聞を一気読みしたら、毎日新聞の投書欄に、国防意識を持とうとか言う投書があって「九条で国は守れない」とか書いてる。つっくづく不思議でならないのだが、どこからどうして九条「が」とか九条「で」とかで国を守るとか守れるかもしれないとかいう発想が出てくるのだろうな。九条は番犬のドーベルマンかセコムの防犯設備かよ。

ちがうでしょ、問題が根本的に。こういうセンスでものごとを考えてる人たちは、すぐ絶対に、いわゆる護憲派のことを「九条さえ守っていれば安全と思っている」とか攻撃してくる。自分らがそうだから、九条でも何でも、何か謎のアイテム「さえ」あれば何もしなくていいと、私らが思っていると考えるのだろう。セコムつけるかド―ベルマンを表につなぎっぱにして、エサもろくにやらず散歩もさせず、自分らは家の中で寝ころがって、せんべいでも食べてテレビ見てうはうはバカ笑いしてれば、死ぬまで安楽に暮らせるって、そういう風にしか考えられないのだろう。
国防は自衛隊か若者か貧しい人か、とにかく自分じゃない人にまかせて、そういう人を戦場にやって汚い危険な仕事をさせる、そういうスタイルでしか、自分の安全の守り方を考えられないのだろう。
ちょっともう、手がつけられない。

もう何回も書いたけどね、10年以上「九条の会」やってて、憲法まもろうという考えの人たちと山ほどつきあったけど、私も含めてその誰ひとり、九条さえ守っていれば平和が守れて安全なんて、すっとぼけたのんきな感覚持ってた人はなかったぞ。

九条で国は守れないって、そらあんた、九条があるからって、ぼけっと外交努力もせず戦争責任も考えず、近隣諸国との友好も気にかけず、世界情勢の中での身の振り方も検討せず、少子化や貧困やエネルギー政策も考えず、国会で充分な論戦もせず、私利私欲に走って身内の政治とマスコミ締め付けに走っていて、「九条があってもだめでしたー」って言ってちゃね、九条だろうと百条だろうと十戒だろうと五か条の御誓文だろうと錦の御旗だろうと役に立ちゃしませんよそんなもん。

九条はただの文章ですよ。それが動いて敵をやっつけ日本を守ったらホラーでしょうが。神風吹かせる陰陽師のお札じゃあるまいし。
その文章を守るためにはどうしたらいいか、指導者と国民が知恵をしぼって考えて、実行し試行錯誤し努力することによって、効力を持ち力を発揮するんですよ。そうするための、よりどころとして、目標として、最高によくできているから今の憲法と九条は、守る価値があるんです。

私は何をかけても断言しますが、今「九条があっても国は守れない」とか言ってる人、かりに九条がなくて自衛隊が軍隊になって徴兵制がしかれたって、絶対に自分も家族も財産も犠牲にして国を守ろうなんて思ってないでしょ。そういう状態になったらなったで、「兵隊さんが何とかしてくれる」「指導者が何とかしてくれる」って責任転嫁して自分は何も考えないで何もしないで、言われたことだけやって、ぶつくさ文句言って、そういう生活したいだけでしょ。もの考えたくないんでしょ。誰かに考えてもらいたいんでしょ。たとえ自分のためにでも愛するもののためにでも、どんな責任も持ちたくないんでしょ。
楽したいんでしょ、要するに。
どうやったら楽できるかさえ、真剣に考える手間惜しんでるんでしょ。やめてよねもう。つきあってらんない。

◇ぼけっと北朝鮮悪者にしてミサイルのことばっかり騒いでる間に、韓国と北朝鮮は外交努力して、和平への道を探ってるじゃないの。アメリカさえもそ
れを文句言えずにいるじゃないの。

テレビのニュースをチラ見すると、新聞記事でもそうだけど、そこにどれだけの、ひきさかれた民族の悲願があり、真剣な平和への希求があるとかいうことを、誰もがかけらも思ってないのね。すべてを利害関係のかけひきだけで分析してる。
当然そういうのもあるでしょうが、人間の高潔な精神や魂を考慮に入れられなくなって、すべてを損得勘定の、しかも自分たちに都合のいい観点での分析ばっかをしてたんじゃ、それこそ世界の外交から置いてかれるし、国益のためにもならんぞ。国を愛するというのは、そういう目配りをして未来を読んで行動することでもあるだろうに、というか、それしかないだろうに、心も頭も皆本当に、アベ政治に毒されて、単純低俗卑小に成り下がってるよなあ。くり返すけど、九条があろうと憲法があろうと、政府とマスメディアと国民がこのていたらくじゃ、国も平和も守れるわけない。てめえたちのアホと怠惰を、憲法や九条のせいにすんなよ。

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カツジ猫