そんなあ
って、まあ昨日のことなんだけど。
朝、授業の資料をコピーしようとコンビニに出かけた。休日だから大学でコピーがとれないのです。したらば首尾よく最初に寄ったコンビニのコピー機が空いてて、予想よりずっと早く資料がしあがった。
ほくほくして、後は猫とわけて食べるおさしみを買うだけだと、いつものスーパーに立ち寄ったら、正午近くの、いつもだったらがらあきの時間なのに、駐車場がぎっしり。おかしいなあと思いながらうろうろ走って、しゃあないから、となりの商店街の駐車場に行ったら、何とまあ、お祭りもどきの何とか市が開催されてて、そこの駐車場が全部丸つぶれ。さてこそスーパーの駐車場があふれかえっていたはずだ。それにしても、ちょっとこれは暴挙じゃないかと思ったけど、まあしかたないから、道路を隔てたコンビニの駐車場を拝借した。スーパーで買物すませて戻った時、お礼もかねてそのコンビニで、おでんをたっぷり買って帰って、昼食はそれですませた。
しかしさ、気のせいなのかなあ、最近スーパーで見かける男女が特に高齢者だけど、妙によれよれよろよろと歩いてる気がするんだよね。もしかしたら、岸田政権の税金搾取や物価値上げのせいで、本当に弱者がくたばりかけているんではないだろうか。どことなく誰もがホームレスっぽく難民っぽい。そりゃまあ私だって人のことは言えないけど、少し前はここまでくたびれた感じの男女はいなかったような気がしてしょうがない。
そして、これは気のせいじゃないんだけど、最近、おさしみのパックの上げ底がひどい。大盛りにしてあるようで、皿に移すとどれほどもなく、パックの中央がものすごく盛り上げてある。どーでもいいけど、こうやって見かけだけかさだかになると、冷蔵庫で場所をとってかなわんのよ。正直に薄っぺらなパックにしてよ。
ここ数日、朝の水まきをしていると、鋭いもずの声がします。奥庭の近くの藪に住みついているのかもしれません。切り裂くような高い声は、この季節にふさわしい気もします。庭も水仙が伸びはじめ、夕顔はどうやら終わり、いろいろと整理したいのですが、なかなか時間がありません。講義の資料に使おうと、香川景樹の「桂園一枝」から適当な歌を拾っていたら、
いろいろの花のかぎりをうつし植えてあれぬ庭をも野とぞなしつる
というのがあって、これって、今私がやってることと似てると思ってていいのかな。荒れ放題の庭に、いろんな花を植えて、野原のようにきれいにした、ということでいいの?
もしそうだったら、古歌の世界じゃ「野」っていうのは、きれいな場所としてとらえられてるんだろうか。ちょっとよくわからなくて、気になっている。まあたしかに、「春の野に」みたいな歌も多いし、あんまりマイナスイメージはないなあ。昔の野原は実際にそんなにきれいだったんだろうか。まあ、どうせ京都をはじめ都会の郊外なんだろうけど。
ところでカツジ猫が書いている、しっぽの話。亡くなった猫さんの飼い主の方のブログはこちらです。お許しを得て、リンクさせていただきました。読んでいると、私も死んだ猫たちのことをいろいろ思い出します。
写真はいつの年のかわからないけど、夏の庭に咲いた朝顔の花。