ちびりちびりと
あいかわらず暑く、あいかわらず家も庭も片づかない。気づけば七月ももうなかば過ぎ、ということは一年ももう半分は終わり、そうなると、ちょっとせめて今月末まで一気に家をきれいにしてしまいたくなったりするけれど、もうこうなったら、それもあきらめて、じれったくても、ちびちびと、あっちこっちから片づけて行くようにしようかと思い始めた。手だけは休めず、とにかく何かをしているようにして。
まあ早い話が開き直ってしまおうってことかも(笑)。
前の書き込みの最後に書いた、プロ野球ファンに参政党嫌いが多いとかいう話は嘘かほんとか知らないが、思えば日本人ファーストとか外国人排斥とか言ってみても、スポーツの世界ではなじみようがないのじゃないか。なじまなすぎて、なじまないということさえ気づかないぐらいに。
私が子どものころはそれでもまだ大鵬などは差別された(そんなことまったくわからなかったけど、ずっと後になってご本人が話していたような)こともあったようだし、朝青龍や白鵬には、やはりそういう外国人としてのバッシングもかなりあった。今でもあるかもしれない。でも、そうは言っても今の幕内力士には横綱たちも含めて外国人は少なくないし、モンゴルやウクライナ出身の力士たちはちゃんと人気がある。安青錦にしても玉鷲にしても、それぞれのかたちで十分に好かれている。「日本人の横綱がほしい」という声も、次第に下火になっていってるような印象がある。
プロ野球では更に各チームの外国人選手など、大いに好かれて普通に認められている。キューバだろうが韓国だろうが出自で差別されたりはしない(王貞治氏も中華民国国籍。いろいろご苦労はあったとしても、今それで騒ぐような人はおそらくいない)。そもそもそれこそ大谷選手をはじめ多くの日本人選手が外国で活躍し人気者になっていて、それはサッカーやラグビーではもっと普通になっている。彼らがヨーロッパやアメリカで、それだけ受け入れられて愛されているのは、現地の人々が「〇〇人ファースト」という意識を持たないか持てないか、自国の選手を優先したり選別したりしないからだろう。そうなった歴史、そうなっている背景にはいろいろ複雑な事情もあるのかもしれないが、そういった意識を「日本人ファースト」と無抵抗に考える人たちは、どのように整理しているのだろう。
一方でオリンピックの日本人の金メダルは喜ぶし、外国の名門大学その他で、芸術や学問でトップを日本人が取ると浮かれるし、そもそもノーベル賞を日本人がもらうと大喜びするし、書いてるとだんだん私もわからなくなるのだけど(笑)、さらにもう言ってしまえば、ピアノもバレエも外国がはじまりだし、ノーベル賞もアカデミー賞も海外の主催だし、そういうものをもらって喜ぶというのは、「日本人ファースト」と矛盾しないのですかね。
そういうものを日本人がもらえると言うのは、それらのすべてが、「日本人ファースト」などとは正反対の公正で差別のない基準で決められているからという前提があるからということは、そこは認めているんでしょうか。
もっと言うなら、それをもらって、「日本人はすばらしい」とか喜ぶことは、すでに日本人ファーストとは相容れない基準に身を任せているということ、もしかしたら「日本人ファースト」の観点からは許しがたい他国の基準に身を任せているという屈辱感や敗北感はないのでしょうかね。本当に「日本人ファースト」を守ろうと思うなら。
そこまで行かない、思い詰めない、整理しない、愛国心も日本びいきも、私には信用できないし認められない。ノーベル賞の審査員や一流プレーヤーは好きで、そのひとたちの言う事することは認められるけど、家の近くにたむろしてる汚い貧しい外国人は嫌いでいなくなってほしいと言うんなら、それは別に愛国心でも日本人ファーストでも何でもない。汚いものや貧しいものが嫌いなだけです。
一方で自分の近くで、自分に手が届かないぜいたくをしてる外国人が嫌いなら、ただの嫉妬か、自分の方が汚い貧しいと排除されるかもしれない危機感か。多分相手が日本人でも、嫌いなんじゃないでしょうか。要するに私にも、まだいろいろと、よくわからない。ただどうせ「日本人ファースト」と言ってる人たちも、わかってないんじゃないでしょうか。
昨日は髪のカットに町に行き、時間が余ったので、そのへんをぶらぶらしていて、福岡の大名のあたりの建物でお茶しました。近くの広場にけったいな生き物のオブジェがあったので、撮影を。暑さしのぎになりますやろか。

