ヒバリとウサギ
昨日(あれ、もう一昨日か)は地域の皆さんとの俳書の読書会もあって、それもまた、いつものように面白かった。
野のみどり空に移して雲雀(ひばり)哉(かな)
なんて、今の人が詠んだような、わかりやすくて単純で美しい句があったり、
笈居(す)えて足投出して夕雲雀
海を見る窓も有けりおぼろ月
みたいな、これもわかりやすくてこっちが不安になるような、ちょっといい句もあった。
蕗を喰ふ音や兎のおぼろ月
なんて、ちょっとシュールで私は好きだったが、これは野ウサギか飼ってるのかという話から、昔はニワトリやウサギはどこの家にもいて、普通に殺して食べていたという人もいて、このウサギもいずれ食べられるのかなとか言い合った。
脱袖に聾たつやおぼろ月
という句は最初何のことかわからなかったが、皆でスマホを検索する内、「脱袖(ぬぎそで)」には上半身肌脱ぎになるという意味があり、「聾」は「みみしい」とも読み、また「聾たつ」で「耳が聞こえなくなる、聞こえない状態になる」という意味があるとわかって、じゃあ、肌脱ぎになって、耳が聞こえないぐらい集中してるってことかと言ってる内に、一人が先日見た映画「国宝」の冒頭の侠客たちの出入りの場面で、一瞬音が消えてストップモーションかスローモーションになるのを思い出して、他にも見ていた人が多かったので、皆もうその場面しか考えられなくなって、おぼろ月の下でのヤクザの決闘だみたいな解釈になったけど、よかったのかしら(笑)。
たぐり置(おく)妹が髪や朧月
も、恋の句にはちがいないけど、どういう場面なんだと考えてる内、源氏物語みたいな王朝文学の俤(おもかげ)なんじゃないかということになった。まあ、翻刻(活字化)がまちがってなければ、短い注だけつけて全体の訳はつけないから、そのへんの解釈は自由でいいんだけど。
個人的には「野のみどり」と「蕗を喰う」の句が好き。一面の広い緑の野原の上の一面に広がる青い空とそこに響くヒバリの声は、単純だけどきれいだし、おぼろ月の夜にウサギが蕗をかじる音がするというのも、思いがけないものばかりで少し不気味で楽しい。
さっきNHKのEテレ特集か何かで、日本の原発政策がどうやって決められてきたかを告発する番組をやっていた。吉岡文書という膨大な記録を精査し再構築したものらしく、衝撃的な貴重な報告だった。参政党などがかみついた「報道特集」も、ひきつづきの放送をするようで、最近アナウンサーやコメンテーターの中にもまっとうで勇気ある発言をする人も出て来始めたようで心強い。
参政党やその支持者がこれらの発言や番組を攻撃するのは、まあ語るに落ちるというか当然だろう。だが、少し前のYahooニュースで、「報道特集」やアナウンサーが参政党の外国人政策について発言したのを、どっかの局の報道関係者が数人、「あんなに一方的にバランスを欠いた発言や報道をするのは、きわめて珍しい、異例だ」とか、参政党の抗議にのっかるようなかたちで言ってたことが私には印象的だった。
ははー、こういう基準で、こういう考え方で、あの毒にも薬にもならない選挙報道はじめ無難で気の抜けた番組を作る拠り所にしてるのか、そりゃまあ皆がテレビ離れしてSNSに流れて行くわいと、つくづくもう実感した。報道とかメディアとかいうことについて、まるでもう私とは意識や感覚がちがう。客観性とか公平とかいうのは、不勉強や無責任や臆病であることの口実や逃げ口上に使っていいもんじゃないぞ。これについては、またゆっくり。
