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ちょっとだけつけ加え。

◇前の書き込み、いろいろ思い出してしまうので、ちょっとだけ補充して、それでこの話はやめます。
今も覚えているのですが、キャラメルが病気になって急速に衰えて行ったとき、私は残された短い彼との時間をミルクに邪魔されまい、邪魔させないと決めたのですが、それはむしろキャラメルが死んだあとのミルクとの暮らしのためでした。
ミルクに妨げられてキャラメルとの最後の別れが充分にできなかったら、きっとそのことを思い出して、後でミルクをかわいがれなくなるだろうから、今は思う存分キャラメルに時間を割いた方がいいと、どこかで思っていたような気がします。

それは、その前の体験があったからで、初代猫のゆきと十七年暮らしたのに、私は彼女の死に目に会えなくて、それは田舎の母が何かのことで私に帰って来いとしつこく言うので、「ゆきが死ぬまで待って」という感じになるのもいやで、思い切って大急ぎで帰り、とんぼ返りで戻ったのですが、多分タッチの差で間に合いませんでした。
倒れて死んでいた彼女を抱き上げると、まるで私に答えるように熱いおしっこが流れ出しましたから、本当に死んですぐだったと思います。

そのことで私は母を恨まなかったし、自分も責めませんでした。
そんな思いでゆきの死を、ちらとでも汚したり乱したりしたくなかったからです。
ただ、それ以後私の中で母に対する気持ちは変わりました。
それまで私は母が大好きで、人間としても信頼していて、ちょっと度が過ぎていたかもしれないので、まあそれでちょうどよくなったのかもしれません。
ですがとにかく、私の中の母に対する何かは確実に死んで、二度とよみがえりませんでした。「さめる」とは、こういうことかと本当によくわかったほどです。
今でも母のことは好きですが、多分死んでも泣かないし、死に目に会えなくても特に淋しくはありません。

◇そういうこともあるかもしれないから、キャラの死の前にはみっともなくても何でもいいから、なりふりかまわず彼のためにすべてを後回しにしようと私は思っていました。
それでも人間とちがって、飼い猫が死にかけているでは仕事も会議も休むわけには行かず、私はキャラが死ぬ数日前の会議で、だらだらしょうもない発言をする人がいるたびに、これで帰ってキャラが死んでいた日には私はきっと、この人の名前と顔と発言の内容を、自分が認知症になってぼけまくっても、死ぬ最後の瞬間まで絶対に忘れないだろうなと思って、おののきました(笑)。
一目散に飛んで帰って、板のようにやせたキャラの身体がベッドの上で静かに息をして動いているのを見た時は本当に感謝しました。ありがとうございます、人を憎まないですみますと天をあおいで感謝しました。
思えばあのころから、少し私は変になっていたのでしょう。

キャラメルが死んでしばらく、ほとんど数年間も私は彼がなつかしく、いないのが悲しく恋い焦がれました。それでもミルクへの愛情はあったし、彼と暮らすのはいやではなかったと思います。
ただ、今考えても「あなたがかわいがるからキャラメルは死んだ」「今度はミルクをかわいがってやれ」と言われたあのことばは、ミルクにとって本当に恐ろしい危険な言葉でした。あれほど私にミルクを愛させなくする強力な言葉があったかと、冷静に考えるほど私は、あらためて戦慄します。ミルクのために。彼の立場になって。

◇でもこういう言葉って案外、人間や家族の間でも言われているのかもしれません。Aが消えたのはあんたの責任。罪滅ぼしと思ってBを愛しなさい。

Aに焦がれ、その喪失に深く傷つき、苦しみの極みにいる人に、これは恐ろしい宣告です。Aを失ったのは自分のせいだと言われるだけでも苦しい上に、その贖罪のための苦行としてBを愛しろと言われることは、Bを愛するたびに、Aを失った悲しみと自分の罪を自覚させられることでしかありません。Bを愛しようとすればするほど、Aを失った自分の罪を認めては新たに苦しむことになる。
このスパイラルに終わりはない。あのとき私とミルクがいたのは、そんな地獄でした。

罪悪感と義務感ほど、愛情にからませてはならないものはないと私は思っています。その二つが少しでも関わった時にあらゆる愛情は穢れて腐ります。
私がミルクをどんなに愛そうとしても、その二つを遠ざけておくことは出来ませんでした。
彼をかわいがり愛することは、自分がキャラメルを殺したと認めてしまうことになる。
彼をかわいがり愛しても、それが本心からか義務感からか私自身にも永遠にわからない。
この二つをはねのける力が、あの時の私にはありませんでした。

◇あれ以来、たくさんの人間や動物を見送って来ました。それぞれに悲しかったし後悔もありました。決して慣れるということはないし、前の教訓を生かしても別にまた新たな課題が生まれます。
それでも少なくとも今なら私は、あんな言葉や、そんなことを言ったり考えたりする人たちに、負けないでいられるだろうと思っています。笑って彼らの存在を無視できるだろうと思っています。私が何をどれだけどんな風に愛しているか、知っているつもりでいる人、わかるつもりでいる人(しかし本当に、人は他人のそういうことを、どうして自分が理解できると簡単に思ってしまえるのでしょう。それとも私は、よっぽどわかりやすい人間に思われるのでしょうか。まあ昔から「あなたは私によく似ている」「考えることが同じ」とか、他人によく言われるのですけどね、私はわりと。まるで通りで水をかけられるか、ビルの上から何かが落っこちてくるかするぐらいの、いきなりさで)に何を言われてもまるで気にしないで笑っていられる鈍感さは、さすがに身につけました。
あ、やばい。書けば書くほど性格の悪さがにじみ出てくる。本当にもう、このへんにしときます。

◇一日中、うだるように暑くて、さすがのカツジ猫も何とかしてというような、何やら訴えるような目で見るので下の家に初めてエアコンを入れました。でもさっきから雷が鳴って雨がぱらつき、ちょっと涼しくなりました。カツジはキッチンのテーブルに寝そべって、不安そうに雷が鳴るたびに、耳をぴくぴくさせています(笑)。

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カツジ猫