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朝から少々重い話。

◇先日の映画会の時、昔の学生がきれいなお嬢さん二人とご主人といっしょに、このブログで知ったと言って来てくれました。もう何十年ぶりかしらん。とてもうれしかったです。お嬢さん方はもう中学生と小学生で、そんなに時間が流れたのだなあと、あらためて実感しました。

彼女は私の愛猫キャラメルをよく知っているので、「いっしょに飼っていたミルクのことが、ちっとも出ませんねえ」と淋しがっていました。
私もいずれ彼(ミルク)のことは書きたいのですが、どうしたもんかね…。

キャラメルとミルクは兄弟なのですが、キャラはペルシャ猫、ミルクはシャム猫風でした。お父さんがちがったのでしょうね。
性格も真反対で、キャラメルはクールで一見そっけなかったけど、ミルクはいつも全身で甘えてくるパワフルな猫でした。今二階で飼っているロシアンブルーもどきのグレイスが、このタイプで、怒られてもどうしても絶対に愛情の強さは変わらないし、いじけたりすることはありません。

私はそれがちょっとうるさくて、その上、キャラメルを押しのけていつも甘えて来るので、公平にかわいがろうとするとどうしてもミルクよりキャラメルを優先することになりました。そんなこんなでいろいろあったけど、まあそれなりにやっていて、私はミルクも好きでした。
でもキャラメルが白血病でどんどん弱って行って死んだ三か月間は、彼の相手をするのがせいいっぱいで、ミルクのものすごいパワフルさが、だんだん苦痛になって来ました。

そしてとうとうキャラメルが死んでしまった後は、もう何だか自分も半分死んだようで、道を歩いていてもプールで泳いでいても、目の前にキャラメルが歩いていたり座っていたりするのが見えるようで、毎日ただぼんやりしていました。それでもミルクがいたし、彼のためにもしっかりしなければという気持ちはありました。

その頃はまだ私はおつきあいが多くて、わが家にもけっこういろんな人が来ていて、キャラメルとミルクのことを知っている人もたくさんいました。私は話題作りや面白半分に、ミルクの熱さがうっとうしいとかキャラメルの冷たさが好きとかよく話していたり、うるさいと言ってミルクの頭をたたいたりしていたので、「かわいそうに」とミルクのファンになって下さる方も多くて、私はそれもひそかにミルクのために喜んでいました。

◇この話になると私はやや逆上するので、いやみな言い方をしてしまいますが、私はそれって、あくまでも冗談やギャグの世界と思っていました。よもやまさか、本当に飼い主の私より自分の方がミルクのことを好きだとか、真剣に自分がかわいがらなければミルクが不幸なんだとか、信じているような人がいるなどと考えたこともありませんでした。
第一もしも本当にそう思うなら、かんちがいの思いこみも徹底すれば本物になるってやつで、冷たい飼い主の私からミルクを引き取って自分で育てようとか思いませんかね? 私ならそうする。そこまでする気がないのなら単にそれって中途半端に高見の見物してるだけで、私は「偽善」ということばはそんなに嫌いじゃないですが、まさにぴっかぴかの完璧無垢の偽善そのものだと思う。

…なんちゅうことはまあいいので、その中の何人かが、その半分放心状態で生きてた私に、多分とても親切なお気持ちで言って下さったのですよ。
「あんまりキャラメルばっかりかわいがるから、彼が死んだんですよ」
「キャラメルがいなくなったから、今度はミルクをかわいがって下さいね」
ちなみに別々の方です。多分そんなに猫好きじゃない、飼ってもいらっしゃらなかった方だったと思う。

◇まあね、すべては今のカツジ猫をアホ呼ばわりするのと同様、人前で自分のものを粗末に扱ったり、不幸な家庭や暴君の演技をしたりするのが大好きな私のクセが生んだ自業自得です。
それにきっと私も似たような言い方で、自分はまったく知らないまま、他人や他の生き物を傷つけたり運命を狂わせたりしてるんだと思います。それはしかたがない。それを気にしてちゃ生きられない。

第一その時でも私はよくわかっていました。毎日半分無意識で仕事をし人とつきあい、雲をふむようにして歩いていたような状態でも、それでもよくわかっていました。こんなことを言って下さる方々にむろん悪気はないだけじゃなく、私のことやキャラメルのことがどうでもいいのはもちろん、ミルクのことだって本当にどうでもいいので少しも彼を好きなのじゃなく真剣に考えているのでもない。ただ言ってみているだけで、ミルクや私がどんなに不幸になったって、ちらとも心を痛ませることなんかない。
だから、こんな言葉からミルクを守ってやるのは私しかいない。絶対にこんな言葉に動揺して彼を不幸にしちゃいけない。

でも、だめでした。毎日そう言い聞かせてミルクを抱きしめてやって、でもだめでした。キャラメルを失った悲しみを忘れよう、ミルクを愛しつづけよう、本当に一分一秒、そう自分に言い聞かせ努力しつづけたあのひと月は、私には今思い出しても地獄のようです。どうやって生きていたのか、息をしていたのかさえ、よく思い出せません。
そんな時に、シナモンを拾いました。その夜、当然ですがミルクはシナモンを攻撃してシナモンは怯えてちぢこまりました。私は黙って怒りもせず、静かにキャリーバッグを出してミルクを入れ、夜中に車を走らせて三時間かけて実家に行き、母にミルクを預けました。気がついたらそうしていました。

今でも自分がどういうつもりだったかわかりません。本当に気がついたら身体がそのように動いていました。
どこかに捨てるという気持ちはまったくありませんでした。でも、もしかしたら殺そうという選択肢はあったかもしれません。怒りも泣きもわめきもせずに、静かに黙って首をしめたかもしれません。それは自分でも自信がない。
それまで何度か長期の旅行の時に二匹を預けたことはありましたから、母はミルクをよく知っていて、しばらくおいてと頼んだら喜んで承知してくれました。ミルクもうれしがって母に甘えて、毎晩ベッドにもぐってのどを鳴らしてとてもかわいいと母は電話で言っていました。
でも、半月ほどして母が数日旅行に行った間に、ミルクは家出してそのままいなくなりました。実家と私の家の回りは似ています。私の家を探しに出かけて帰れなくなったのでしょう。私も帰省してあたりを探して回りましたが、ミルクは見つかりませんでした。

◇今考えても私は自分がどうするつもりでいたのかわかりません。その内に引き取りに行こうと思っていたのか、母のところに暮らさせて会いに
行くようにするつもりだったのか。いなくなるとは思っていませんでした。しかし当然考えておくべきことではありました。
キャラメルと同じようにミルクもエイズのキャリアーでした。いなくなった時点では元気だったし、人なつこい甘えん坊で誰にでもかわいがられる猫でしたから、どこかで飼われたかもしれませんが、どちらにしてもあまり長生きしたとは思えません。私は何も想像しません。後悔もしないし泣きません。でも忘れたことはないし、自分が猫好きとは思わないことにしています。たかが、あんな赤の他人の無責任なことばに動揺して、私は彼を愛せなかった。その程度の人間です。

◇キャラメルやシナモンとの思い出にも、カツジや他の猫たちとの毎日にも、いつもミルクの記憶がまつわっています。私が今彼をどう思っているか、記憶の中の彼とどう過ごしているかを人に話そうとは思いません。話せないのではありません。話さないでいることで、私は彼を守ろうとしているのだと思います。生きているときに守れなかった代わりというのでもありませんが。
彼の写真もあるので、その内に見てやってもらいたいと思っています。でも今はまだもう少しお待ち下さい。

子どもを虐待する親、友人を殺す子ども、そんな話を聞くたびに私はひとごとと思えません。私がキャラメルを失いミルクを愛せなかったあの長いようで短い半ば無意識の時間のように、愛情も憎しみも何もかもがその意味を失い、すべてがからみあってどこかへ流れ出す時間というのがあります。普段なら笑ってしまえる、憎んでしまえる、無視してしまえる一言が恐ろしい力になって人を滅ぼす瞬間があります。言った人のせいではありません。普段ならそんな力は持たないし、毒にも武器にもならない言葉です。時と場所でそれが不幸な効果を生むのは、発した人の責任ではない。
私はただ、そういう瞬間が誰にでも存在するということを知るだけです。どんな残酷で狂気に見える行為でも、そこに人を導く力は誰の回りにも生まれるということを知るだけです。

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カツジ猫