ちょっと暗澹とする
今朝の毎日新聞の人生相談欄で、長年差別と戦う活動をしていた70代の女性が、もう疲れた、今後どう生きればいいかみたいな質問をしてるのに、回答者が、立派だ、頭が下がる、して来られたことは無駄ではない、信頼できる仲間もいるだろうし、またがんばってほしい、みたいな(超大ざっぱなまとめ)回答をしていて、なんかもう、がっくりし、大げさだけど暗澹とした。
これがまた、どちらの回答者も、私が尊敬するし、共感することも多い人なのですよ。だからなおさら、「こんな人たちでさえ、何もわかってないんだなあ」って。
他人や地域や社会のために、自分の私生活もなげうって献身して来て、疲れて「もう休んじゃいけませんか」と言ってる人たちに、もっと走れ、戦え、がんばれ!とか言ってどうすんのさ。アホとちゃうかいな。
そらま、人によっては「お疲れさまでした、もうゆっくり休んで下さい、あなたの楽しみを見つけて豊かな老後を送って下さい」とか言われても、かえって呆然として無気力なぬけがらになって、死んじゃう人とかもいるだろうけど、それにしたって、この回答はないんじゃないの。
本当に日本人だか人類全体だかは知らんけど、右翼も左翼も保守も革新も政府もリベラルもどいつもこいつも、会社もボランティアも「死ぬまで働かせる」のが好きすぎるんだよ。
あと一息で書き上げられないで苦労してる、私の「情けあるおのこ」の本(多分、電子書籍で出す)のとりあげてるテーマも、もろ、こういうことなんだけどな。
猫のカツジは、亡くなったグレイス猫の残したかんづめを、気に入ったのか、けっこうむしゃむしゃ食べている。大きなかんづめだから、残りを冷蔵庫に入れておいて、何度かにわけて出しても、文句を言わずめしあがって下さる。しかし、食べたあとしばらくして、「まだなんかあるよね」みたいな顔で、お刺身のおすそわけの催促のように、所在なげにあたりをうろうろする。おかしくてつい、パックを出して、三切れほど皿に載せてやると、それを食べて、これで宇宙の回転は安定したみたいな顔で、いつもの場所に寝に行く。こんちくしょう。