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でかくて重くて冷たい尻

昨日の地震、いろいろ被害は出たのだろうが、津波や大きなことはなくて、少しほっとした。
 いつもだったら、日本の果ての地域の地震に、九州の果てくれのこのあたりまで、テレビの全チャンネルが逃げ方の指示の画面ばっかりになるのを、アホかと思ってしまうのだが、福島と言い能登と言い、何があっても平気で無視して一年も何年も放置しまくって何もしないで、急ぐことでもない他の作業に熱中する政府のことがわかりきっているから、何かあったら現地の人や自治体はどうなることかと、こっちまで生きた心地がしないのだ。明日はわが身と思うから、本当にひとごとと思えない。

本当に情けない。

京都の子どもの死亡事件もメディアは、しゃぶりつくすようにとりあげていて、いやでも状況がわかってくるにつけ、いろんなことが予想されて、つらい。それぞれ自分の体験によって、あらゆることを誰もが想像してしまうだろうが、いずれにしても、ひたすら悲しい。被害者と容疑者の名前が似ているのさえ、わけもなく悲しくなる。

たとえば、私が自分の知っている家族で思い出すのは、こんなかたちで大家族に加わった被害者と加害者の場合、まったくほんとに、悪気ではなく、今回被害者になった子どもを生前に、大家族が憐れみいたわり甘やかすことによって、そんなに悪い関係でもなかったかもしれない加害者と被害者が、対立させられて行く状況だ。昔の物語に登場するステレオタイプの「意地悪な継母(父)」が、作り上げられて行く図式を、何度も見た気がする。くりかえすが、今回の事件がそうかどうかはわからない。ただ、とにかく、いろいろな悲しい記憶がよみがえる。

こちらは少し前の話だが、あいかわらず高市政権に抗議するデモや集会のニュースをまったく報道しないテレビは、もうどういう意味でも異常というか、半病人か臨死状態としか思えない。どこぞのチャンネルでは昨日か一昨日か、何とハンガリーかどこかの市民集会や政治活動の特集をしていた。それ以上の市民運動が今全国で起こっているのに、何が悲しくて遠い他国の同じような活動を特集して報道するのだ。よっぽど現政権からの圧迫か金銭援助がすごいのかと思わずにはいられない。

そして、まあ高市首相が回りの反対派や批判勢力の声を聞かないから、しかたがないのかもしれないが、本当に他に人がいないのかと言いたいぐらい、次々にとんでもない新人が登場して来る(笑)。門なんちゃらという新人自民党議員(比例で当選した人らしい)が、連日の集会やデモの主催者とはとても言えない、過激な団体をわざわざ呼んで、暴力的な意図が背後にあるように印象づける、古臭い手法を使ったのもあきれるが、その中でさえ失敗して、「デモは、ごっこ遊びにしか見えない」という、しょうもなさすぎる発言をしてネットで炎上したようだ。思わず私もXで、「同じごっこなら、戦争ごっこより戦争反対ごっこの方がよっぽどまし」と口走ってしまった。

この議員さんは、「デモよりも文句があるなら自分が政党作って議員になれ」とか、これまたピント外れもいいとこの、言い古された発言もしている。デモや集会の記事や写真をちょっと見れば、映画好き、漫画好き、推し活好きの若者たちが、そういう大好きな趣味を我慢して時間作って、もちろん何のもうけもなく、デモや集会に参加していることぐらい、肌で感じられるだろうに。忙しい仕事や家事の合間を縫って、かけつけている人たちの息遣いも。

私だって、政府や首相や与党議員がちゃんと仕事をしてくれれば、政治や社会に注目も関心もそこそこにして、残り少ない余生で、まだやり残した研究に時間を注げるというのに。この門なんちゃらのアホすぎる発言にかっとして、思わず数年来、古本屋のカートに入れたまま買うのをためらっていた、二万円余りの紀行文の本を、いきなり買ってしまったではないか。この生活苦のみぎりに、いったいどうしてくれるんだ。

だがまあ、それはそれとして、高市首相もこの門何とか議員も、派手な服装するのが楽しみとしか思えない小野田なんとか議員にしても、私の勝手な感覚では、このデモや集会の楽しそうな盛り上がりを見て、よっぽど楽しそうでうらやましかったんだろうなあ。小野田議員が「服装のことばかり報道するな」と怒ったらしい話もちらと見たが、あんたそういうカッコよさしかねらってなかったんじゃなかったっけと、思わずつぶやきたくなる。

高市さんをはじめとしてこの人たちは、ほんとにもう、注目されちやほやされ、スポットライト浴びて踊り回るのが好きそうだもんなあ。それが生きがいで政治やってるようにしか見えないんだよねえ。まちがってたらごめんけど。
 そしてそういう人たちにとっては、あの国会前や新宿や全国での大群衆や、思い思いののぼりや旗や、知的で高級なゲストのスピーチや、熱気にあふれたライブ会場みたいな雰囲気は、自分がその中心にいたくてたまらないしろものなんじゃないでしょうか。それなのに、そういう場には立てないで、一人で派手な服装して歩いたり、隠し小部屋にこもってタバコ吸ったりする毎日が、すごくつまらなくて退屈で、我ながらみじめで滑稽に思えちゃうんじゃないでしょうか。

まあ、どっちがいいのかわかりませんけどね。こういうちゃらちゃらした変な集団と、Yahooその他でこういうデモや戦争反対みたいな記事になると、すかさずものすごく大量にくっついてくる「戦争は誰でもいやだが、防衛はしなくていいのか」「中国や北朝鮮はどうするんだ」「辺野古の事件はどうなんだ」と、まるで判でおしたように、同じような意見をつらつら書いてくるAIみたいに個性のない退屈きわまる集団と。あ、実際にAIが書いてるのかも知れないけど。

高市さんだの小野田さんだの門さんだののとんでもなさは、毎回予想の斜め上を行くけど、たしかに目先が変わって退屈はせんわな。ひきかえAIもどきの集団は、個性もないし理屈もないし、変に冷静で賢そうに見えるけど、どこどこまでも平凡陳腐そして絶対自分が何かしようという意識はない、ひとごと気分。これもつい私はXに書いたけど、こういう書き込みする人の文章読むと、でかい大きな重くって冷たい尻を、ぺたっと顔に押しつけられたような気分になるのよ。何で私がこんな目にあうのかなあ、と巨大な尻を見ながらいつもぼんやり考える。吹き出物でもあるか臭い匂いでもすればまだ人間らしくていいんだけど、そんな匂いさえしない、ただ重くて冷たくてでかい尻。いやですねえ。まじでもう。

とか私がクダ巻いてる間に、庭ではヒメエニシダまで咲き始める。この花の名(エニシダ)を幼い私が覚えたのは、たしか「ドン・キホーテ」の岩波少年文庫だったような気がする。サンチョ・パンサが目印に道にまくんじゃなかったっけ。

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カツジ猫