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とがった月。

◇田舎の家から持って来た大きなテレビは、なかなか壮観なのですが、慣れないと画面が見にくくて疲れます。これを買ったばかりのとき、母が「見にくい」と言って、古い小さめのテレビのある部屋に行くので、私がかんしゃくを起こしていたことを思い出します。

この大画面を楽しむには、せいぜいきれいな映像を見るしかないなと、DVDの「ホリデイ」と「八月の鯨」、ついでに絶対こんなもの、こんなことでもなかったら借りないだろうと思う「古城のまなざし」とかいう古いヨーロッパの城を紹介したDVDを借りて来ました。で、ぼうっと「ホリデイ」を見て、いい気持ちになっています。いやー、本当は11月は仕事が山積みで、書棚を作るリフォーム工事の第二次もはじまるし、もうのんびりしてなんかいられないのに。

◇今日は短剣のように細く光る、みごとな三日月が出ていました。何度目かに見たときは、黒い雲に下半分がかくれて、とがった半分が刃が突き出たように見えていました。夜はすっかり寒くなり、私は母の下着や服を冬用のものに交換しました。

◇カツジ猫も書いている、私が家の中で怒ってどなっている件は、まあ秘密保護法や集団的自衛権や原発再稼働やオスプレイ配備や消費税値上げや40人学級の復活(少人数学級はいじめに効果がない、って、どういう速攻の効果を期待していたんでしょうか。危険ドラッグじゃあるまいし)に比べたら、どれも情けないほどちっぽけなことばかりで、怒る価値もないことばかりなのですが、それでもやっぱり腹は立ちます(笑)。
私の怒るパターンというか、私にふりかかる災難というか、まあそれ以外のことだったら私はあんまり苦にならないということもあるんですが、皆いつも似ていて、今もぶちきれてる対象は複数あるけど、どれも共通していることがあって、それは、「勝手に私と合体するな私の身内のつもりになるな」ですね。これに尽きます。

前から何度か同じこと言ってますが、これは私が一人暮らしで女性だからということがあります。そういう人間が一人で独立して存在することを、今のこの国の社会は頭のどこかで認めていません。だから、誰のものでもないものは自分のものにしていいという感じになるんだろうと思います。私に夫や子どもや親がいて共同生活者がいたら話は少しはちがうはずです。こんなに勝手に人の暮らしにずかずか踏み込んでは来ないでしょう。

もう一つは私がときどき、自己紹介で「特技は人になめられることです」と言っているように、他人に警戒されないようにしているからです。私は人がどれだけつけ上がるかを見るのが楽しみとまでは言いませんが、相手がどんどん図々しくなると、どこまで行ったらとまるのだろうか見てみたいという妙な探究心があって、めったにストップをかけません。たいがいでおかしいと気づけよおまえみたいな気分でながめています。まあだから私の自業自得でもあるんですが、しかしそんな、自分のいたらなさの教育係を他人に要求しますかね。「いやだったら、そう言って下さい」「だめなら断って下さい」とか言うのは、それだけ野放図に自分はしたいことするから、とめるのはあんたの仕事だと言ってるわけじゃないですか。世の中の誰も、そんなにヒマじゃないのよまったく。

最後にもうみもふたもなく言うと、こういうことが起こるのは、それはもう要するに私自身と私の暮らしがとても魅力的に見えるからなんでしょうよ。私は美人でも金持ちでも才能豊かでもないけれど、それなりに楽しく元気に生きているし、いらないものは皆捨てて、いるものを大事にして暮らしています。それを「いいなあ」と無責任にうらやましがる人はきっといるでしょう。私が何を捨てて来たかも考えないで、知らないで。

この三つが重なると、どうなるかと言うと、人はもう実にたやすく「彼女のものは自分のもの」「彼女と自分は同じ仲間」「彼女の暮らしは私の暮らし」と何だかもう、みごとなまでに錯覚する。
多分私は、とても普通の人に見えるので、自分とよく似ている、そんなにちがわない、自分も同じようになれると本当に自然に、わりと誰もが感じるんだと思います。私には正のオーラも負のオーラもないかわり、格差や境界をとかしてしまうオーラがあるんでしょうきっと。
で、その結果、何であんたがと思うような赤の他人が、ずるっと私の生活に入りこみ、私の家族のような顔をして私のものを勝手に使い、どことなくそれで私とつながっている気持ちになっている(らしい)。

きゃ、つまらないグチを言ってたらもう夜中過ぎ。明日も早いので、今夜はこれで。

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カツジ猫