どこをほめるんだ?
何とまあ、昨日は風がそよそよと涼しく、まったく久方ぶりに窓を開け放ってエアコンなしで一日過ごしました。
今朝も雰囲気は昨日に似ていますが、気温は少し上がるそうだし、エアコンなしが続けられるかな?
最近あれほど悩ましかったノラ猫さんたちの集団が見事にぱったり消えてしまい、こうやって永遠かと思われた夏の熱気も去り、おまけに元首相もいなくなったとなると(全部まとめると、どこからも文句が来そうですが)、何となくそのありがたさに、2億だか36億だか知りませんが、そのくらいのはした金で縁が切れるのだったら、国葬も安いもんだと、つい思いたくなるから恐いよね。
ただ、それでも毎日とことん不愉快なのは、これだけ国民が反対し世論もまっぷたつ以上に割れてるのに、見ない聞かないふりをして、あろうことか「反対する者はバカ」よばわりまでして、目をつぶって国葬を強行しようとしている面々の醜さ。まったくプーチンと重なるし、去年のオリンピックとも重なる。オリンピックは今になって汚職の巣窟だったこと以外、いいニュースもないていたらくだし、まったく時間的にも空間的にも、この面々は学習するということがないのかね。
私がカッカとムカついていると、「しんぶん赤旗」の集金に来た男性が「あまり腹を立てるとストレスで身体によくないからほどほどに」と心配してくれた。よく行く喫茶店の女主人も「あれ(国葬)、いやですねえ。でもストレスで身体こわすのいやだから、考えないようにしてる」と言っていた。どちらもそれぞれ私なんかよりよっぽど人生がんばってる人たちだから、そう言われると反論もしようがないけど、でも、ストレスがいやだから無視するという理由で認められた国葬なんて、そんなのやってて楽しいか? 故人に気の毒と思わないのか? 何度も思うが本当に愛されてない人だったのだなあ。
私はもうちょっと親切だから、国葬がこんな調子で実行されてしまうのなら、せめて効果的に何かして世の中のためになりたいと思うけど、今のところ思いつかない。月末までは思いつきたい。
選択肢は大きく二つある。ストレスはともかく時間がもったいないから、徹底的に無視して(まあ、家の前に古い「アベ政治を許さない」のポスターぐらいは貼るとしてもだ)、ここしばらくの自分の鉄則「私にしかできない戦い方で世の中につくす」という精神のもと、自分の仕事にひたすらはげみまくることが、そのひとつ。
もうひとつは、そうは言ってもなにがしかの関心のもとに、抵抗と抗議の発信を行うこと。
どうしよっかなあ。
実はさ、「国葬の日に黙祷の代わりに何をする?」というハッシュタグ見てからずっと、もし強行されてしまうなら自分が何を一番したいかを考えて見ていたら、何のことはない、「その国葬の一部始終をぜひ見てみたい」ということでした。がーん(笑)。
いやさ、俗にいうところの「猫をも殺す好奇心」てやつですよ。私なんか逆立ちしても逆さに振っても、あの男をほめることばなんて、ひとっつも浮かんで来ないし、ひねりだそうとしても無理。絶対に無理。
それを一時間もつづく儀式でだらだらしゃべって、しのんで、ほめちぎるなんて、どうやったらできるのか、どう考えても想像できない。作家のはしくれとしての限界を感じるわマジで。
だからさ、それを知りたいの、見たいの。その茶番劇を、猿芝居を。何を、どこを、どうほめるのか、ぜひとも参考のために知りたい。憤死するより笑い死にする確率が高いけど、それでもぜひ見ておきたい。
とか思ってたら、よく行く本屋さんに右翼雑誌の名も高いHanadaとあと何とかが山積みされてて、こんなの前にあったっけ私が気にしてなかっただけだっけとか思いながら、そっか、国葬見なくても、そこでくりひろげられる嘘八百の数々はきっとここに全部書いてあるんだろうなと思ったとたん、買いたくてしかたなくなった。金もないのに、時間もないのに、何というアホの骨頂。あー困った。
などという毎日で、じたばたしてる私をよそ目に、庭では夕顔がますます美しく咲きほこり、今年は花は無理だろうと思いつつ買って来て植えといた、安売りのクリーム色のカンナが何とつぼみをつけていました。
庭ってほんとに次から次へと、うれしい驚きが待っています。
これは、柵の「裏側」に咲いている分。
カンナって野趣あふれる花だけど、これは何だか高貴っぽいですね。