なんか、ぞっとする。
◇キャラママさん。
いろいろ大変そうだけど、カツジ猫くんのためにも、身体は大事にして下さい(笑)。
しかし、アホな人に腹たてるのも疲れますが、それなりに信頼も尊敬もしてる人のアホさを見るのも、けっこう疲れるもんですよー。
中国の反日デモ、私はよくわからんというか、不快とか怒りとかいう以前に、まあいちばん世間に通用する言い方で近いのは、「胸を痛めている」って感覚ですかねー。
いろいろ読んだ本でも、中国に行った人の話でも、中国文学の先生の意見でも、中国にしても韓国にしても、ひとすじなわではいかない国だと思うし、戦争責任の問題や何かとこれがからめられると、さらにもう知らんという気にもなるのですが、それはそれとして。
この数日で、私の知り合いの、どちらも大変どころではない仲よしで、学歴も知識もあり独自のものの見方もする、ちゃんとした人がどっちもあーた、一人は台風の話題のとき、「中国に吹いてって、あの国めちゃくちゃにすればいい」と言い、もう一人はデパートでバーゲンの帽子を見ながら「中国製のものは買わない、品質とかじゃなく、あの国をもうけさせたくない」って、けろっと言うの。
私も、そのへんの右翼のおじさんや、ネットしか見ない若者(しかし、そういう若者ほんとにどれだけいるのかね、よく知らんけど)が言うんならびっくりもしないけど、どっちもそれなりに、きちんとものを考えられる人で、まあ、私とそうちがった感覚の人じゃない…と思ってた私がバカだったかしらん。
そもそも、社会的な関心がないわけじゃないけど、そんなに積極的な発言や行動する人たちでもない。テレビや新聞にそう踊らされる人たちでもない。
それが何なの、この脳が筋肉になったみたいな単純すぎる反応は。
逆に、ことの重大性を自覚してないから、こんなにとぼけた反応もできるのかなーとも思ったけど。
こんな人たちまで、皆で盛り上がって中国の悪口言っとけば安心みたいな感じが私は一番こわくて、キライ。日本も日本人も激しく大キライになる。この人たちを筆頭にして。
あらためて自分は反日デモに何を感じてたのか考えてみたら、一番思ってたのは、「あー、60年や70年安保のとき、アメリカへの抗議デモを私たちやってたけど、あのときのアメリカの人たちってこういう感じで見てたのかなー」ってことだった。
何が正しいか、どう見るべきかは私にもわからない。
しかし、判断材料がこれと言って何もないとき、私が最低でもよりどころにするのは、自分より遠い方の、相手側の心境や事情をせいいっぱい考えてみることだ。それは戦争や不幸な状態をさけるときに、一番必要な基本だと思う。
それを、こう安易に、ふだん決して愛してもいないし関心を持ってもいないように見えた日本や日本人といきなり何の警戒もなく同一化して、平気で気持ちよさそうに敵を攻撃する神経って、いったい何なんだろう。この多数によりかかって、安心して他者を攻撃できる喜びにひたる精神って、いじめの快楽と、どこもちがわないだろ、どう考えても。
ほんっとに、ひたすら気分がわるい。こういう発言をする人を見ると、いきなり目の前でパンツぬいで局部を露出して見せつけられたような驚きを感じる。しかも色もかたちも臭いも、どれをとっても最悪みたいなね、これが。
私は移民の問題もいろいろほんとはよくわからんのだけど、こういう身近な(でも遠い)人たちの、悪い意味で無防備すぎる反応見てると、いろんな人種や国籍の人がいっぱい日本になだれこんで、住みついて、気をつけないと近くにどこの国の人でもがふつうにいるという状況の方が、どんなに快適かとつくづく思う。中国人や韓国人がのきなみ町に住みついて、通りでも店でも隣りにいる状態だと、せめて私も、こんな気持ちの悪い発言聞く機会があまりなくてすむかもしれん。
◇そろそろDVDを返さなくちゃならないんだけど、「テキサスの五人の仲間」は、やっぱり見れば見るほど、いいなー。