何度も言わせるな!
◎というか、そこまで言わせるな!といおうか。
ちょっと前、職場の同僚で何やら突然、やたら怒り出す男がいた。なぜだか聞いてみたら、彼の言い分は、「おれは前にそう言ったのに、それを聞いていなかったかのように同じことを持ち出す」というようなことで、なるほどそう思って見ていると、彼の怒りは何も唐突ではなく、ごく納得できるものだった。
しかしながら、と私は彼に言ったものだ。あんたも教師ならわかってもいようが、学生だって、同じことを何十回も言わなきゃ絶対に覚えていない。せめて数回ぐらいは、前に言ったことでも、くりかえさないと人は覚えてくれないよ、と。
彼は、けっという目で私を見て、返事をせず、その後もやっぱり怒っていた。何で自分が怒るのかの説明も絶対しないままだった。
◎それなりに、あっぱれと思って見ていたが、最近、特にこの数カ月、私も彼の気分に近くなっている。
だいぶ前に書いたが、ある団体から機関紙の購読を勧められて、金がないからと断った。この夏はかなり多くの人たちに、忙しいから会えないと会食や訪問を断った。
それは、どちらも実は私にとっては、かなりつらいことである。求められて応じられないのはいい気分ではないし、金がないとか、時間がないとか告白するのは恥ずかしい。
だから、それなりの勇気と決意をもって言っているし、一度言ったら相当疲れる。
ところが、それであきらめてくれる人もむろんいるが、中にはまるで、そんなことを聞かなかったかのように、しばらくしたら、同じことを同じようにまた誘ってくる人がいる。
もう一度私にいやな思いをさせたいのか、前の断りはそんなにいいかげんなものだったと思っているのか、まるで形状記憶合金のように、「ほとぼりがさめたから、もういいだろう」という感じで、同じアタックをくりかえして来る。
あるいはまた、それとは少しちがうが、決定的に相手を傷つけたくないから、おだやかに、さりげなく断っていると、こちらがどんなにいやで困っているのかを絶対に理解せず、いつまでもいつまでも同じことを言ってねばりつづける。「あなたの顔も見たくない」「未来永劫口も聞きたくない」などと、言ったこちらの人格も疑われるようなひどい言葉を吐きたくなくても、そうしない限りあきらめようとしない。
最近「終の信託」という小説を読んだ。いやな検事が登場して容疑者の女性を追いつめて、逆上させて決定的な発言をさせて罪を認めさせようと、あの手この手でねばる。
読んでいるうちに吹き出してしまったのは、これはまるで私の日常ではないかと思ったからで、こちらにひどいことを言わせるまで自分の要求をしつこくくりかえして、取り下げない人たちとの攻防が私は実に日常化している。
あんたの言い方は優しすぎる、それじゃ相手は期待する、と言われたりするが、私に言わせれば、それは相手がバカすぎる。
とにかく、私も時にはぶちきれて、そういう相手を拒絶するのだが、もうその時点で嫌悪感も拒否感もカウンターの針が振り切れ状態に達しているから、そういう拒絶をしたあとは、メールをもらっても読まずに即、削除するし、手紙をもらっても読まずに捨てる。家の中のごみばこに捨てるのもいやだから、どこか遠くのコンビニのごみばこに「ごめん」と言って捨てる。「ごめん」というのは、ごみばこに、こんな汚いものを捨ててごめんという気で言っている。
以前、くみ取りトイレがあった時は、そこに捨てればよかったのだが、もっとも実際には私は自分の排泄物に、こんな手紙をまみれさせるのも排泄物に悪いと思って、きっとよそに捨てただろうな。
ムダ話はともかく、私にきっちり自分のどこがいやなのか聞いてくるとか、それがいやなら私など放っておいて黙って自分なりの努力をするとか、そういうこともしないでおいて、ただ漠然と時間がたったら「もういいか」と再アタックするのは、私の場合まったく無駄だ。ほとぼりがさめるという言葉は私の辞書には存在しない。
我慢できなくなるまでは、私は相当我慢している。感情的になったように見える時点で、もう感情の問題ではなく冷静に感情的になっている。
・・・と、こんなことを書いていたら、誰かがメールしてきていたりして。きっと見ないで削除するだろうが。