なんかもう絶体絶命。
◇まあ別にそんな深刻な話じゃないんだけど。
今日、庭のキャラメル猫のお墓のまわりをきれいにしようと思っていたら、夕方から雨になり、明日も午前中いっぱい降り続くって。昼からは「九条の会」の集りがあるし、行きたくないなあもう。でも行かないと日本と世界がどうなるかわからないしって、私もたいがい自己満足自己憐憫誇大妄想被害妄想いや全部どっかちがうような。
下の家もじわじわ散らかり始めているし、寒いとは言え何となく春も近づいてる気配で、洋服の入れ替えもぼちぼちしたいし、体調はいいのか悪いのか今ひとつだし、読みたい本はあるし見たいDVDはあるし、講座の準備もしたいし終わった仕事の資料は片づけたいし、さがしものは見つからないしまだまださがす気ですかだし、ええいもうどうしてくれよう。
さしあたり今夜は早く寝るか(どうしてそうなる)。
◇それにしても春休みだからだろうか、今日は近くの道路がどこもかしこも変に混んでた。いくら土曜日でもこんなのちょっと珍しい。
◇老人ホームの母のところに行ったとき、川崎市で中学生が高校生たちに殺された話をしたら、母は「テレビがしょうもない報道ばっかりするからねえ」と昔よく言っていた口癖を、いまいましそうにくり返していた。
まあ母のそれは、ただのお題目みたいなものだが、まったく救いのない事件だ。
ニュースを見てると、現場に献花する人が絶えないのが何だかちょっと救いのような気もするが、事件そのものはあまりにも手抜きで、そんなことしたらすぐ捕まるだろうといういいかげんさで、それでいてつかまったら否認するわけだし、もちろん理由も大したことではないだろうし、覚悟も計算も見通しもない、あまりのずさんさに一番腹が立つ。そんな程度のリーダーのもとに、グループが成立してたというのも、ひたすら、むかつく。犯罪や悪人まで劣化してしまって、どうするんだ。
私は高校生のころ、殺したいほど嫌いなやつがいたら、どうやって完全犯罪をしようか、万一つかまったら犯行動機を誰にも納得してもらえるようにどう説明しようかと、毎日考えている間にくたびれて、とてもあいつにそんな手間をかけるほどの価値はないと思って毎回やめていた。殺人でも政治でも戦争でもそうだが、想像力のないバカが先のことも何ひとつ考えないでやったことで死ぬのだけは絶対にいやだと、つくづく思う。
殺された生徒はもう気の毒という他ないし、誰もが言っているように周囲の大人が気づいて救えなかったのかと思うが、たしかにそういうしょうもない集団にとっつかれてるとわかったら、私も含めて周囲はさしあたり、ささっと引くもんなあ、関わり合いになるまいとして。子どもの世界でも同じだろう。犯人のリーダーも含めて、そうやってその集団は放置され、そこに空白の真空状態が生まれ、異常なことがエスカレートする。その図式もまた、よくあることで、腹立たしい。
◇ゆうべ、カツジ猫の夢を見た。なぜか彼はとても小さい子猫で、私はどこか山の中から彼を連れて帰って、皆にこれがカツジですと紹介している内に、こんなに小さいわけはないと気づいたところで目が覚めて、目の前にでかい本物のカツジが寝ていた。
その話をよく行く店のオーナーにしたら、「どんだけカツジが好きなんですか」と、あきれられた。そうかしらん。