はんっ!
そら見ろやっぱり。
ツイッターにアップしときましたが、「憲法があるから政府がコロナ対策できない」と言い出す人が出て来てるようだ。どうせ政府じゃなきゃ、どっかが言わせてるんだろ、と、つい思ってしまうけど、まあ、来ると思ったよ。案外遅かったかもな。しかしそこまでアホな人もさすがにいまいという、かすかな期待もちょっとはあったが。
ともかく気をつけよう。この件で憲法持ち出すなら、むしろ国民の生存権を政府が犯してる!ということでしかないと思うんだけどね。忙しいから言わずにおいたらこれだよまったく。
それにしたって、つくづく縛られたい強制されたい強いやつからいいようにされたいって欲望持つマゾヒストって、世の中にはいるもんなんだよなあ。
こういう人って、自分の嫌いな、苦手な人とちゃんと向き合ったり受け入れたり戦ったりする度胸がないもんだから、強い誰かにそうしてほしいと手軽なことを思うのな。そして武器とか貯金通帳とか全部そいつに手渡して、結局嫌いな相手を滅ぼしてもらうどころか、自分の方が身ぐるみはがれて、尻の毛まで抜かれるんだよ、いやほんと。
自分が気に食わない相手を守っているかに見える法律や制度は、それ以上にあんた自身を守っているかもしれないってことに、思いいたらんもんなのかね。
そう言えば、私が昔、色んな人にサービスして振り回されて忙しくて死にそうになってたとき、「少し仕事を制限しては」「あの人に親切にするのやめたら」とか忠告してくる人って、まずまちがいなく、私が仕事減らして親切にする相手を削るなら、まずあんたとの付き合いが最初の削減対象だって言うやつばっかりだったもんなあ、不思議なくらい(笑)。「ご迷惑では」と無言で身を引いて消える人は、誰も彼も、お願いあなたとのつきあいがあるから私耐えられてるのに、残って下さいお願いですと、土下座したくなるような人ばっかりでさ、これがまた。
危機感ないのかね、自分が一番国や相手にとって迷惑なお荷物になる存在だってこと。誰もを救うシステムだからこそ、自分もそこにひっかかって救われてるのかもしれんってこと。生活保護とか外国人とかホームレスとか、そういう一見目に見える基準で自分をチェックして見て、自分は大丈夫だとか単純無邪気脳天気なことがよく言えるな、どこから来んだよそのはた迷惑な自信ってのは。
そりゃそうと、これもツイッターに記事をあげときましたが、例のマスクは250億どころか466億かかるとか。もう本当に誰かとめろよ。とめられなければ日本もマジで終わりだぞ。安倍晋三の自己PRと自己満足と何もしてない何もできない言い訳に私がこれから466回贅沢しまくって生きてもまだお釣りが来るような金を使うって、それもうあんた。
日本近世学会からもとうとう6月の学会を中止するお知らせが来た。皆さんずいぶん苦労し工夫したようだけど、きっとそれは無駄にはならないと信じている。
近くの公民館も閉鎖された。やれやれ皆本当に、どうやって生きて行くのかな。ジムやサークルを生きがいにしていた人も多いんだろうに。代わりの楽しみをどうやってか見つけて提供しないと。それも行政の大事な仕事じゃあるまいか。
「実説・本日休診」(南雲今朝雄)をぐだぐだ読んでる。びっくりするのが町医者が皆貧乏なこと。診療所は雨漏りし、患者からは治療費を取れない。そして、ああ考えて見れば同時代に村医者だった祖父もそうだったなあと思い出す。お金を払わない人がたくさんいて、だのに、保険で認められない高価な薬使って、母や祖母が、その回収に走り回っていたのを覚えている。
あの頃は、それが普通だった。エリートというのは、お金をもうけることを意味しなかった。
写真は、捨てられるはずのごみの中からわんさか出て来た、記念切手の一部。多分、叔母のものでしょうね。シートごとの記念切手って価値あるんじゃないのかなと思って、なかなか使えずにいます。そして、私の貴重な本や資料がうっかり処分されたという話では案外冷静だった人が、これ見て急に「あんたこんなん損害補償で訴えたら」とか逆上するのが何だかおかしい(笑)。