ひえ~、それだけはひらにご容赦
長年使い倒していたポンプの具合が悪くなり、ひなた水のようなお湯しか出なくなった。体温以下の水風呂に、ぶるぶる震えながら入っている。ここ数日暖かいからいいようなものの、明日からまた寒くなるとか。それだけは勘弁してほしい。私に死ねってか。
ポンプをつけてくれた方は、もう仕事をやめておられて、別の業者を紹介して下さった。そこの人が今日来て下さって、部品を変えればいいとのこと。ただ在庫がないので、取り寄せるのに来週までかかるそうだ。とりあえず店にあった中古の部品をつけて下さっているのだが、やっぱりお湯はほとんど出ない。まあ水は出るのだから、ぜいたくは言えないが。
ポンプが下の家までお湯を送る力がないということだろうから、めったに使わない上の家の風呂を試したら、どうやらお湯が出そうなので、今週いっぱいの入浴は、これで何とかなるかもしれない。
まあとにかく、家電関係の故障か、ポンプの問題かがわからなかったので、それが確定できたのは重畳だ。だけど部品の交換、いくらかかるかな。ちょっと心配。
最近ぼんやり、ずっと思っていたのよね。電気や水やその他のシステムが無事に働いているのに、毎日どれだけ自分が支えられ、救われているかって。災害にでもなったら、すぐに失われるだろう、これらの機能の数々が、日々の順調な作業の進行に、どれだけ貴重で欠かせないかと、ありがた味をかみしめていた。何かの予感だったかな。ドラマや映画でいうところの「フラッグ(フラグ)が立つ」ってやつ(笑)。
昨日紹介した、上の家の窓辺でのんきな顔をしている、ダサくて下品で泥くさい(だから好きなのさ)鬼さんが、がんばって家を守ってくれるといいが。
幸いにして水まきは心おきなくできるのが救い。カツジ猫の金網の小屋の中にまいていた、麦の芽がちょろちょろと出始めた。かじったら、おいしそうだが、カツジ猫は食べてないのかしら。これで猫草の代わりにしてくれれば、助かるんだけどな。
私の友人知人の中には、コロナ危機は政府の陰謀とワクチンを打たない人も、用心に用心して断固外出しない人もいて、どっちが正しいのか私はわからないのだが、一応中途半端に注意してはいる。ただ、そうかと言って、あらゆる番組をめったやたらにぶったぎって、本日の感染者数を知らせてくるラジオのニュースはどうかと思うよ。地震の警戒とか大雪下の交通情報とかなら、まだわからんでもないが、今日何万人感染者が出たって、そんなに寸秒をを争って知らなきゃならないことかね。
そのニュースでは毎日ウクライナ情勢を伝えている。これもまた私は、とりあえずアメリカがトランプをクビにしといて本当によかったぐらいしか意見をまとめられないのだが、その前に、ウクライナと聞くと、幼いころに読みふけった「隊長ブーリバ」とか、「静かなるドン」(ショーロホフの小説。ヤクザの漫画ではない方)とかで、自分の家や村以上にそこで生きて空気を味わっていた気がする、コサックたちの故郷や村々が、ありありとよみがえってしまう。
もちろんそれは、本当のウクライナでもロシアでもないだろう。私の勝手な幻想の中の世界にすぎない。でも、母が「ロシア文学って、どうしてこんなに風景描写がいいのかねえ!」とうっとりしていたように、私のそんな空想の世界をあれだけリアルに構築したのは、「隊長ブーリバ」は子ども向けの本なのに、ロシア文学者の原久一郎の、身震いするほど堂々と格調高い名訳だった。主人公のブーリバはもちろん、二人の息子オスタップとアンドレイ、コサックの若い英雄ククベンコたちの最期とか、今思い出しても興奮で身震いしそうになる。(映画もあるけど、あれは変なハッピーエンドだったし、そんなに感情移入はできない。)
プーチンが何を考えているか知らないし、彼を好きでもなんでもないが、ただ、私でさえこうなのだから、ウクライナってロシアにとっては特別な思い入れのある場所ではあるんだろうなと何となく感じてしまう。