ひさびさに、せやろがいおじさん
世の中のいろんなことは、さしあたりツイッターの方にいろんな情報を放りこんでいるのですが、これは久しぶりにこっちに上げます。じゃんじゃん拡散して下さい。
えー、それにしても、九時半に起きてちょっと原稿に手を入れてたら、もうこんな時間かよ。買い物に行くか、ごはんを食べないと、とりあえず。
私がひまさえあれば、はさみでちょきちょき猫のカツジの毛玉を切るので、さすがにやつの全身は、すっきりすべすべして来ました。
ただし、こいつの毛の下の方は真っ白なので、あちこちまだらに白い部分が見えてきていて何だか笑える。
コロナに鈍感で出歩く人たちのことが批判されてるけど、私が家で心地よくひきこもっていられるのは、それなりの家の広さや、今は散らかってるけど片づけたら快適さや、周囲の自然の美しさがあるから何とかなるんだと思う。富裕層の豪邸はもっとそうだろう。
寝るためだけだった小さい部屋や家に、家族数人で毎日ずっと暮らしていたら、それはたしかにたまらんだろうし、外出しないとやっていけない気になるだろう。私は一人でいるのが好きだから、それはもう身につまされるなんてものじゃない。もう皆ほとんど「アンネの日記」か「壁の中の妖精」状態じゃないか。
写真は捨てられる中に入っていた、私が一番幼い時に、母や祖父母から読んでもらっていた絵本「画伝 イエス・キリスト」。昭和二十五年、和田三造さんの作。もうばらばらになりかけているけど、文字通り私の「聖書」。裏表紙のこの絵は特に目に焼きついて、覚えています。ネットで見たら同じ絵で復刻されているのね。でも、この本はどこにももう出てないみたい。