編集と校正
イラクサの上着編みは一段落したが、まだ白鳥数羽の羽やしっぽが、白鳥のままになっているような気がする。それにしても画像で検索して、ちらっと見たところでは、どの絵本でも、十一人の王子様は皆同じ顔と姿で描かれているようだが、これはせっかくだから描き分けた方がいろいろ楽しいんじゃないのかな。それとも原作でもまったく王子たちには個性は描かれてないから、いっそそこがいいんだろうか。
以前、プロ野球のホークスの若手人気選手数名の「母になりたい」と言っている、彼らより年下の女性ファンがいるのをネットで見て、友人たちと笑ったあとで、いやタイプのちがう好きな相手を一人選べないというなら、母になって皆身近においとくというのは賢い選択かもしれないと思い直したりしたが、その伝で行くとこれは十一名の好みの相手を兄として設定できるのだぞ。ものすごーく贅沢な妄想ができるじゃないか。アイドルグループ二つぐらい、アスリートなら一チームでまだお釣りが来る。選び放題だ。ホークスだったら、柳田、松田、千賀、甲斐、今宮、川島、明石…でも何か、この白鳥の群れだったらやたら鳴き声も動きもうるさそうな気がしないではない。まあそもそもが鷹なわけだし、しょうがないか(笑)。
とか言ってる私だが、あいかわらず決してヒマじゃないのである。いろんな原稿の校正が届いているが、なんだかどれも気になるところがあって、OKを出せない。特に見出しが全部消えて、空き行もすべて消えて、長門の美術館だっけの平家納経みたいにべたに続いているのには腰が抜けた。芭蕉の「おくのほそ道」の原本がそのようになっていて、学生たちに授業でよく、「今の文庫本の改行やら段落やらあるのとは、別の作品みたいでしょう。だから古典は草仮名を学んで原文で読まないと、活字で読んで評論書こうなんて、ほんとはとんでもない勘違いをしかねない」とか言うのだが、これもそうで、もうとても私の書いた文章とは思えず、ある意味新鮮で、しばらくまじまじながめてしまった。
でも、こういうまちがいは初歩的なミスで案外気にならないのだが、中には優秀な編集者で、こういう改行や段落や句読点を自分で変えて、半分自分の作品のようにしてしまう人もときどきおられて悩ましい。時にそれで私の文章より良くなっていたりするから、なおのこと困る(笑)。
それとはちょっとちがうかもしれないが、こういう時私は、以前「マスター・アンド・コマンダー」の予告編問題で、他の人たちと、「もとの映画を勝手につくりかえるような予告編を作るな」と大規模な抗議行動をくり広げてしまった時のことを思い出す。
他の仲間たちは知らないが私はずっとひそかに、配給会社の予告編制作担当者には、自分が映画を作りたいけどできないという、ほぼ永遠に満たされぬ欲望があって、それをこういう大作かつ名作の映画に憑依して表現することでせめての満足を味わってるのかもしれないなと、勝手にどんどんその人の気持ちや人生を想像して、気味悪さで背中がぞわぞわし続けていた。
今日は雨模様でうすら寒い。ストーブをたいているが、エアコンとまたちがって快いので、また新しく灯油を買いに行きたくなる。この雨で桜は咲き始めだからまだ大丈夫かもしれないが、わが家のユキヤナギは、それこそ雪のようにあたり一面に花びらを散らして散ってしまった。(この写真はまだ満開の時のものです。)