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ひたすらあきれた

Hanadaとやらの雑誌の国葬アンケートについて前に書きましたが、どうなってるんだろうとのぞきに行ったら、さすがに賛成派が逆転していました。反対派が多いまま公開するはずがないと思っていたから、それは別に驚かない。あきれはてて驚いたのは、賛成派の人たちが天下分け目の関が原みたいに必死になって対抗投票してるのですが、その過程で、「複数アカウントを500作ってがんばった」とか、堂々と言ってること

これが、こういう人たちのモラルなのですね。アンケートのインチキ操作を恥とも罪とも思っていない。かくそうという意識さえない。この精神で気に入らない相手に抗議や嫌味の匿名メールを山ほど送ったりするのなんか、きっとお茶の子さいさい、何とも思ってないんでしょう。それって普通に犯罪者の入り口じゃないですかね。これだとひとつまちがえば、そりゃ選挙の不正投票やもっと危険な犯罪に手を染めることも何の抵抗もないんじゃないかと思ってしまう。

それを削除も警告も注意もしない、この雑誌の編集部の倫理にも脇の甘さにも、同時にあきれはてますが。
ある意味、こういう実体をあぶり出して天下にさらしたってことでも、このアンケートをめぐる騒動の意義はなかなか大きかったのじゃないかしらん。

高校野球も明日で終わりか。今日は休養日とやらで、あれだけ暑い中で競技させといてからに、休養日って今さらとも思うけど、まあもちろん、いいことではある。
その間ラジオでは、「昔の名勝負」の実況を紹介したりしている。いつも母と見ていたこともあって、さすがにいろいろ思い出す。松山商業と三沢高校との試合で、その後めちゃくちゃ人気が出てアイドルになった三沢の太田幸司投手について、よく遊びに来ていた私の友人の男子が、「おばちゃん、おれはどうしてもわからん。何で、勝った井上投手のことをもっと話題にせんのやろ」と母に言い、母も大いに賛成していたこととか。甲子園の敗者びいきは母もよく知っていたし、晩年の川柳では、そのことを詠んでたりもしてたが、太田選手への世間の熱狂ぶりには、さすがに少し辟易していたらしい。

ずっと最近のハンカチ王子とマー君の最後の対決の場面は、私がちょうど由布院で山の上のおなじみの店に行く途中のカーラジオで聞いた。マー君が三振する瞬間を緑の茂り合う中の車中で耳にした。どっちの選手もそれなりに好きだったから、うれしかったかくやしかったかはどっちとも言えない。母は斎藤佑樹選手がハンカチ王子の名で有名になる前から、帰省した私に「こうやって、ハンカチで汗を拭くのよ」と身振り手振りで実演してみせてくれていた。

ところで野球つながりで言うと、古い荷物の中からこんな色紙が出て来たんですけど。「名古屋金鯱軍」が長崎に来たときのものらしくて、母か誰かがもらったものなのかなあ。
昭和十一年なら母は長崎にいたろうけど、この日付の字は母っぽくないんだよね。

板坂家ゆかりで親戚に送ろうか、名古屋の教え子にあげようかと、今ちょっと思案中。こんな風だから片づかないんすよ。

確認できたお名前は、藤井利一、内藤幸三、安永正四郎、高橋昌二、黒澤俊夫、島秀之助、廣田修三、古谷倉之助、金子裕、江口梧人(江口行雄)の各氏。ネットでも検索できました。この当時は皆さん今のようじゃなく、普通のサインをなさるので、英語以外は何とか読めた。
江口氏はプロ野球選手で唯一の「雅号」を持っておられた選手だとか。そちらでサインされてるのも何とも面白い。誇りを持っておられたのかな。

 

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カツジ猫