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びえーん

最近の政治でひとつだけ救われるのは、私が「この人だけは人の上に立たせちゃいけない」とかねがね思ってる(立ってるけどさ)、河野太郎氏があんまり登場しないことだ。そりゃ、それ以上に見たくない、とんでもない人たちが、萩生田さんとか小野田さんとか高市さんとか次々登場し、あんまり救いにもならないんだけどさ。

私がこの人たちにうんざりするのは、意見のちがいとかそんなのじゃなくて、それ以前にもう、人への敬意とか礼儀作法とか、そういうのがもう、ついていけないと思うからだ。河野氏について言うなら、ネットを早々と使いこなしているのを売りにしていたわりには、自分と意見のちがう人や自分を批判する人を、直接に関わりなくても皆ブロックしてしまうらしいことで、それじゃネットを扱う人にしても、とりわけ政治家としても、言語道断としか思えなかったからだ。

そんな人と同じことをするのは、実に自分でもがっくりなのだが、とうとう、私もいつも見て下さる人をブロックしてしまった。別に意見の対立とかそんなのじゃ全然なくて、私がいろんな都合から、しばらく来ないでいてほしいと個人的にお願いしていたのに、それを守って下さらなかったからだ。

この年になると、体調や老後の計画やいろいろな要素で、人との交際や仕事の選別には気を使う。長期的に広範囲に、いろんな配慮をして、年賀状を出す人やたまにお茶する人や電話で長話をする人や、経済的時間的あらゆることを計算して、それなりの付き合い方を工夫し、お願いする。当分家には来ないでとか、電話はしばらくやめようとか、一度じっくりお話ししたいからそれまでちょっと距離をおきましょうとか、その他いろいろ。別に永遠というのではない。時期や状況に変化があれば、元に戻ることだってある。

大抵の人は、その私のわがままを、受け入れて従って下さる。それには本当に感謝している。だが時に、まったくそういうお願いを無視して「時間が解決しただろう」「どうせ本気じゃないだろう」「このくらいなら許してもらえるだろう」みたいな感覚で(多分)、もう、まっこう全面的に、そのお願いを破ってのける方がいる。

いったい私が、そういうお願いをするのに、どれだけ時間をかけ、申し訳なく思ってなお、決意したのか、想像もつかないのだろうか。そういう生き方を常日頃なさっているのだろうか。何だかもう、高市首相の外交姿勢とよく似たものを感じてしまう。一言で言うと、なめるんじゃないよという気持ちだ。私個人をではない。世の中を、人のことばを。

ブロックさせていただいたから、この文章をお読みになることはないだろうけど、何しろこれほど私のことを信じていない、わかっていない、まったく理解していない、私とはどんな共通点もない、自分はそういう人間だ、ということだけは、知っておいていただきたいものだ。

ええもう、そういうことはどうでもいい。
 うっかりまちがえて、トマトを買いすぎてしまった。おいしいからいいのだけど、さすがに飽きたから、今からブロッコリーとあえてサラダもどきを作ろうと思う。

大相撲は安青錦が優勝した。先日解説者が、その強さに触れたとき、「(この強さは)国のことなんかもあるんでしょうけど」と、ちらっと口にしたのが印象に残った。今日の解説の舞の海さんが、優勝後のインタビューを賞賛して「いつも謙遜の気持ちが見える。日本人なんじゃないかと思うぐらい」とか言っていたのも、たしかこの人(舞の海)、昔、日本人の横綱が出て来てほしい、そうならないのは憲法が悪いみたいなこと言ってたんじゃなかったっけと思い出して、安青錦にも舞の海にも何だかちょっと感心した。(ちなみに、前にも書いたけど、大昔、ドイツ文学者の高橋義孝氏が外国人の力士が増えるのを嘆く発言をした時、後輩の国文学者の女性が目をくるくるさせていたずらっぽく、「じゃ自分がドイツ文学研究してるのはどうなるんだって話ですよね」と言って笑ってたのを忘れない。)

写真は庭に咲いたバラ。高々と伸びた枝の先に、えらそうについて虫に食われていた。あいもかわらず私の庭は、どこか廃園のように荒っぽくて、手が付けられない(笑)。

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カツジ猫