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ふてくさりまくり

今朝早く映画に行く予定が、何だかぐちゃぐちゃしょうもないことをしている内に遅くなり、出かけそこねて断念し、それでふてくされて昼過ぎまで、ネットでしょーもない記事ばかりあさってネグリジェ姿のまま、だらだらしていた。二時過ぎたころ、今から挽回できるかどうか挑戦してみようという気になって、そのかっこうのまま、授業の準備や洋服の整理にはげんだ。おかげでまあまあ片づいたけど、もちろん中途半端に終わったので、勝敗は判断し難い。何となく私の一生もこんな風になるんじゃなかろかと思ったりする。

まあ、これまで手がつけられなかった棚や箱もだいぶ攻撃できたので、古紙に出せるものもかなり集まったし、ちびちびではあるが、前進はしてるんだけどね。しかし、授業の資料を作るために滝沢馬琴の読本をちょっと読み直してみたら、面白いのなんのって、全部読み直したくなるし、しかも馬琴だから、どの作品も長いわけで、死ぬまでかかっても読み直せるわけはない。私が追求したいテーマに役に立つネタも山ほどありそうだというのに。いろいろ時間が限られて来たなあ。

しかもこうなって、残り時間があと十年か二十年か、あっという間になって来たとき、どうしてもやりたいことと言えば、何もしないででれっとだらっと空でも見て暮らしていたいと思ったりするからなあ私は。

正月にも七日にも見つからなかった、お屠蘇の素も七草粥の素もめでたく見つかって、一応すっきりしたが、今度はウェストがきつくなったので人にあげようかどうしようかと迷っていた迷彩柄のパンツとスカートがどっかに行ってしまった。そこそこ、かさもあるのだから、まぎれこむってこともないし、何なのよもう。気にしないでおこう。今度見つかるまでにははけるように、やせておいてやる。

ツイートの方にあげていますが、北九州のド派手な衣装の成人式が話題になっているようで。何年か何十年か前に初めて見たときは何だこれはと驚きつつ、変に堅苦しいよりは面白くっていいかもしれないと思ったけれど、今まで引き続いているということはそれなりに伝統として確立されて来たということか。

田舎の家も含めて家中から見つかった、ありとあらゆるハガキの山を、親友に毎日出しまくって減らすことにして、かれこれ二年。さすがにハガキが目に見えて減って来て、二つのかごに入るぐらいまでになって来た。まだときどき、あちこちから出現するので油断はできないが。
これだけの量が友人の家に移動したと思うと、申し訳ない気もするが、うまく行けば今年中にはこの計画も終わるだろう。ひとつ片づいたと思うけど、ものすごく手間のかかる片づけ方をしているよなあ。

似たようなものとしては、叔母の残した高価な線香の山がある。これも毎日仏壇にお参りするのに使っていたら、さすがに残り少なくなって、先日初めて、よく行く文具店で売っていた、おしゃれな今風の線香の筒を買ってきた。更に、これをつけるのに使うマッチも、膨大な山を、かなり減らした。もう使えなくなっていたものもあるが、大半は何とか点火して、ろうそくを灯すことができた。ありがたい。

私の断捨離もこうやって、ぼちぼち、やっと書類や書籍や原稿の山に行きつきかけている。さて、死ぬまでにか、ぼけるまでにか、この原稿や本の整理が間に合うか。見当もつかない。

写真は、三宝が見つからなかたので、とりあえず、かごに飾った、上の家のお鏡。しかし、もしかしたら三宝も見つかるかもしれないので、旧正月にまた飾り直してやろうかと思ったりしています。

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カツジ猫