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べちょべちょ

パソコン回りを片づけていたら、注文しようと思って新聞を切り抜いていた幻冬舎新書の「男という名の絶望」の本の紹介が出て来た。まあ注文しとくかと思ってAmazonのページを開いて、ついコメントを読んだら皆けっこう批判していて、「男に媚を売ってる」みたいな言い方もある。

私はジェンダーもフェミニズムも私に比べりゃ生ぬるいと長年思って来た一方で、ごくはじめから昔から、女が差別されてる状況は男が差別されてる状況でもあるとずっと感じて来た。特に、戦争になったら、まずはもう男が人を殺し自分も殺される仕事に赴くことが前提の世の中って、私が男なら、そんな運命を背負って日夜生きているだけで、もうたまらないし、それを免れていることに不思議とも何とも感じていない女なんか、絶対一人も人間として信用しないだろうと思い続けていた。

それを何人かのフェミニズムの闘士のような方に話したら、皆あまりぴんと来ないようで、中には「だって男は闘争本能があるから」とか「好きに殺し合っとけばいいんじゃない」とか言う人もいて、私はもうこんなことを女が考えてるのなら、死ぬまでお茶汲みしてレイプされとけ、それに文句を言う権利なんてないと痛感したものだった。

なので、「男だって大変だ」みたいな内容の本は、多分私のそういう気持ちにつながることが書いてあるだろうし、それがこういう批判をされるというのは、どういうことかなと興味もちょっとわいて、結局注文した。

読んでみて、まあ男性がいろいろ大変だということは予想していた通りだったし、そんなに驚いたり衝撃を受けるようなこともなく、ありきたりすぎてしょうもないが、「やっぱりこれは政治が悪いよな」ということを、つくづく感じもした。
だが、それはそれとして、Amazonのコメントの多くの、何だか敵意に満ちた反感も、ちょっと理解はできた。すでに序文でちょっとめげそうになったのは、何だか著者の書き方が、こんなの批評にもなってないが、妙にべちょべちょしているのだよな。

こんな内容を、どういう姿勢で筆致で書くべきなのか、そう言われるとわからないが、もうちょっと落ち着いてクールに語ってくれないもんだろうか、とものすごくたじたじとした。
本文は、いろんな苦労している男性たちとのインタビューを主に構成されている。それを読むと、このべちょべちょ感は、インタビューを受けた男性たちの、著者に対する「結婚してないんでしょ? 子どもいないんでしょ? じゃわからないでしょ?」みたいな、妙な絡み方が、そのまま反映しているような気もする。いや、こういう、男であることで苦労してる男って、皆こういう風にべたべたじたじた相手に絡んでくるものなのかな。それが本全体にもしみついて行くのかなと思った。

しかしまた、もしかしたら、そういう風なべちょべちょした部分を引き出してしまうのが、著者の特徴でもあるのかもしれない。それがそのまま作風になっているのかもしれない。まあそのべちょべちょも、ものすごい迫力のあるものでもないから、そうすさまじく不愉快になるわけでもないけど。
男たちのために書かねば、みたいな使命感に燃えて書いたというようなことが序文にあって、それは全然かまわないのだが、そのせいか、著者と取材される男性たちとが妙になまなましいつながりを感じさせる。悪口ではないのだが、そういう不潔感が常にほのかに漂っている。著者は同じような本を他にもいくつか書いているが、全部こんなんかしら。ちょっとこちらもどこか不潔な興味がわく。

ノラ猫にエサをやる人がいなくなったからなのか、あちこちで猫たちがうろうろしているのが目につく。二軒隣のお宅の裏には四五匹の猫が住みつきそうにしているとか。
私の庭にも今朝、母猫が子猫を二匹つれて休んでいた。怒ったら逃げて行ったが、その後また別の子猫が庭を走っているのを数匹見た。どこかに隠れて子育てしていたのが、新しい落ちつき場所を探しているのだろう。

かわいそうだが、居着かれたらたまらないから、子猫が隠れそうな藪や下生えをとことん刈り取ることにした。庭造りをどうしようかと思っていたが、とりあえずのイメージはわいた。今日は中庭の木をばさばさ切って、前庭の草もかなり刈り込んだ。この調子で進めれば、庭は何とかなるかもしれない。

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カツジ猫