1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. ほーらね

ほーらね

昨日は雷の雨のと言ってたけど、結局ひと晩、雨は一滴も降らなかった。曇り空の下、夕方水まきをしておいて本当によかったぜ。今朝もどんより曇っているし、天気予報も雨雨言ってるが、やっぱり水まきをしておこうかな。

そうは言っても夏は次第に終わりかけている。そして能登の被災地の復興はまだまだまったく完全ではない。
 思えば正月に地震があって電気も水も断たれたとき、その復旧に数ヶ月もかかると聞いて、私は目も耳も疑った。この先進国家で、そんなことあり得るのかと信じられなかった。マイナカードだの防衛費だのでは、あれだけなりふり構わず迅速に動く政府のすることか(しないことか、って言うのかな)。
 マッサージに行ったときにスタッフのお兄さんに、「水が出るようになるのが四月だってよ。それが本当なら、あたしならアバレルねー」と言ったのを今でも覚えている。そうは言ってもまだなかば、まさかと信じていなかった。

なのに、本当に、いやそれどころか、四月を過ぎて夏になっても猛暑の中、水が出ない家庭がたくさんあった。その一方で政府は現地に観光に行って金を落とせとせっせとアピールし続けていた。

その後も今も、ニュースやワイドショーを見ていると、現地の人々の必死の復興の中で、観光客が訪れてくれるのが、どんなにありがたいか助かるかと、旅館やお店の人がこもごも語っていて、それはもうたしかにそうでもあろうけれど、だけど私はどこかですごく納得できない。

反発も敵意も承知で書かずにいられない。私は被災地でもどこででも、現に貧しく苦しんでいる人がいるかたわらで、観光を楽しみ美景を楽しみ美味に舌鼓を打ち、幸せな骨休めをすることに、どうしても強い嫌悪感しか感じられない。そうすることが、苦しんでいる人たちの助けになり、喜びになるからと何度も何度も言い聞かせられて、罪悪感も感じなくなり、倒壊した家屋やビニールハウスで死んで行く人々のいるそばで、気晴らしをし、贅沢をし、その人たちの役に立っていると思う感覚が、とても不安だ。そういう風に思わせられ、罪の意識を薄らがせられ、苦しみ続ける人を尻目に幸福や贅沢を味わうことに抵抗がなくなって行く人々を、マスメディアはこの一年でものすごく多く作り出したと思う。仮に自分がどんなに疲れて不幸でいても、リフレッシュでよみがえりたくても、それはしてはならないこと、平気になってはいけないことだ。

映画「火垂るの墓」が、(なぜか日本とアメリカを除いた)全世界で公開されて、反響を呼んでいるという。これまで何度か私も見て、そのたびにもちろん苦しかったけど、あの幼い兄妹の戦中と戦後の数々の悲惨の中で、私が何よりも強烈に覚えていて、今もほとんど忘れられないのは、行き場を失い飢えに苦しみあらゆる人から見捨てられて、河原で暮らす二人の視野に入ってくる、近くの大邸宅で、戦後の生活に戻って幸福になったらしい家族がピアノの音や笑い声の中で暮らしているのが聞こえ続けている場面だ。それがもう、あの映画を私の中で象徴し代表するものになっていると言っていい。

朝ドラ「虎に翼」は、最終週になって、今なお全力投球のパワー全開で爆進しつづけているのが頼もしい。その中で、戦後も何十年もたった時に、登場人物の何人もが、「やっとあの戦争が自分の中で終わったかもしれない」と口にする。戦争も災害も、終わってからがなお長い。人々や町や社会の傷やダメージは、見えないところで長く続き、熱と痛みを発し続ける。その中で、いろんな事情で早く立ち直れた人、日常を取り戻せた人と、打ちのめされたままの人との間には、否応ない格差と距離が生まれる。政府や社会のすることは、何よりも、何よりも、その一番取り残された立ち直れない人々を救い助けることではないのか。「コストがかかる」とかバカの極致の発言をする現政府に望むべくもないことかもしれないが。

早々と立ち直る人、被害が少なかった人たちを責めるのではない。そんなことできるわけがない。その人たちだって、血が滲むどころではない苦労をし、犠牲をはらったはずなのだから。自分たちが観光で楽しむことで、その人たちを助けようと志し、自分たちの快感と現地を救う喜びをいっしょに味わおうとする人たちも、決して悪くはない。悪いはずがない。そもそも現地に観光に行かなくたって、私も今、自分の生活を楽しんでいるのだから、そこは大してちがいはしない。

でも、「運の良い人たちが楽しむことで、最低の状況にある人に、後ろめたさを感じなくていいんだ」というキャンペーンをマスメディアがこれほど大々的に徹底的に繰り広げ続けているのは、さすがにちょっと度が過ぎると思う。そういう観光だの買い物だのを安心して楽しめるためにも、「もっと大変な最低の場所にいる人たちには、政府が全力で救いの手をさしのべる」ことが何よりも優先され確保されなければならない。マスメディアも私たちも、そこを監視し、要求しなければならない。「恵まれた者が幸福になれば、最低の人たちにもそのおこぼれが行く」という、アベ元首相が言い張ったトリクルダウンの、これも一つの行き着く先か。そこにはどんな意味でも救いなどまったくない。

久々にお店で買ったピンクの鶏頭。鶏頭らしからぬ、とても優しい繊細な色とかたちです。

Twitter Facebook
カツジ猫