ぼくたちが、きえるひ(カツジ猫)
みなさん、こんばんわ
かいぬしは、かぜをひいたのか、このごろなんにちか、
だいどころに、あらいものを、ためていました。
そのせいか、けさ、そこの、あらってないおちゃわんのなかに、
ちいさな、みどりの、ばったがいました。
かいぬしは、「どこからはいったの」とあきれながら、
つまんで、にがしてやろうとしたけど、
けがをさせてはいけないとおもったのか、
てゅっしゅをうえから、かぶせようとしたすきに、
ばったはにげて、どこかにかくれてしまいました。
このいえにすんでいる、ぼくたちさんびきの、ねこは、
みんなもう、しんでいるので、かいぬしのめにも、
ばったのめにも、みえません。
ぼくたちも、ばったをつかまえたり、ころしたりは、できません。
それでも、おもしろそうだったので、
ぼくたちは、べっどからとびおりて、
いっせいに、ばったをおいかけました。
でも、ばったは、どこかにかくれてしまいました。
いまも、みつかっていなくて、かいぬしは、
「このいえのなかにいたって、たべるものもないのに。
ばかだなあ」と、おこっています。
ぼくたちも、ばったをさがすのはあきらめたけど、
そのあと、みなで、ねているときに、ぼくは、あることにきづいて、
「いったい、ばったや、ごきぶりや、むしなんかは、
しんだあと、どこにいるんだろう。
たいへんなかずになるとおもうけど」といいました。
すると、だいせんぱいのきゃらめるさんは、
「そりゃ、みんな、もうきえたのさ。
おれたちだって、そうだけど、このよで、おぼえているものが、
だれもいなくなったら、そのとき、きえてしまうのさ。
そのまえに、うまれかわりたかったら、そうすればいいが、
そこは、それぞれの、このみだからな」といいました。
「きみたちは、うまれかわらないことにしたの」ときくと、
「まあ、まだじかんはあるし、しばらくは、このくらしも、わるくないからな」
と、きゃらめるさんは、いいました。
つまりかいぬしや、だれかが、ひとりでも、おぼえていてくれるあいだは、
ぼくたちは、きえてなくなることはないのです。
「おまえは、かいぬしが、しんだとしても、とうぶんだいじょうぶだろうよ。
かおが、ひろそうだし、わかいやつのしりあいも、おおいんだろ。
でも、このあにゃんは、かいぬしぐらいしか、おぼえているものはいないから、
そろそろあぶないから、うまれかわることもかんがえとけと、いつもいうんだけどな」
と、きゃらめるさんはいいました。
でも、そういってる、きゃらめるさんも、あんがい、うまれかわらないで、
かいぬしが、しぬのといっしょに、きえるつもりなんじゃないかと、
ぼくは、おもいました。
「ねえ、でもそれって、ちょくせつ、しってるんでないとだめなの。
たとえば、しゃしんとか、ぶんしょうとかで、だれかが、ぼくたちのことをしって、
おぼえているのじゃ、だめなのかな」と、きいてみたら、きゃらめるさんは、
「しらんけど、ちょくせつでないと、だめなんじゃないかな」といいました。
それはちょっと、きびしいなあ。
「うまれかわるって、なにになれるのか、じぶんでえらべるの。
いぬにでも、にんげんにでも、なれるの。
むかしのいきものや、このさきのよのなかのいきものにもなれるの。
もしかして、いきものじゃなくて、なべとか、いしとか、やまとかにも、なれるの」
と、ぼくがきくと、きゃらめるさんは、「そりゃ、のぞんだら、なれるだろ。
でも、なべなんかになっても、なにがおもしろいんだ。
すぱっと、きえたほうが、きぶんがいいだろ」とこたえました。
「ぬいぐるみとか、くるまとか」とぼくが、いいかけると、きゃらめるさんは、
「しらないよ、そこまでは」といって、あくびをしました。
くろねこのあにゃんさんは、「なべも、わるくないとおもうけど」と、いっていました。
「おまえ、こいつが、ほんとうに、なべになったらどうするんだ。
せきにんとれるのか」ときゃらめるさんは、ぼくに、もんくをいいました。
このしゃしんは、きゃらめるさんがいってた、
ぼくの、わかいしりあいの、ひとりです。
よくいっしょにあそんでくれて、とてもたのしかったです。
ずっと、ぼくのことを、おぼえていて、ながいきしてほしいな。
