ぼくたちと、どうぶつえん(カツジ猫)
みなさん、こんにちわ
はちがつのおわりに、しんだ、ねこのかつじです。
かいぬしは、にわのおはかに、うめてくれましたが、
ぼくは、かいぬしのめにはみえないけど、
いまでも、いっしょに、いえのなかや、にわや、
かいぬしのいくばしょで、くらしています。
ずっとまえにしんだ、だいせんぱいの、
きゃらめるさんや、あにゃんさんもいっしょです。
となりの、おもやには、しょだいねこの、おゆきさんや、
ほかのねこたちも、くらしています。
ときどき、よそのねこも、あそびにきます。
このしゃしんは、ぼくが、げんかんで、かいぬしに、
「そとにだせ~」といってるところだけど、
しんでからは、いくらでも、じゆうに、でいりできるし、
どこにでも、かってにいけるから、
そこはちょっと、よかったかな。

このまえの、かいぬしのたんじょうびに、
かいぬしは、「きねんに、どこかいくか、
なにかするか、したい」といっていましたが、
しごとや、つきあいがあって、けっきょくだめで、
なんにちかしてから、「おとなになってからは、
まだいったことがないから」といって、
どうぶつえんに、いきました。
ぼくたちも、たのしみにしていたので、
もちろん、くるまにのって、ついていきました。
すごく、おもしろかったけど、
れんきゅうのまんなかで、こみあっていて、
「にんげんのこどもを、みにきたのとかわらんね」と、
かいぬしは、くしょうしていました。
でも、おてんきもまあまあで、どうぶつえんは、
とてもひろくて、とおくから、きりんや、ぞうを、
ながめるだけでも、すごくたのしかったです。
「じぶんへの、ぷれぜんとさ」といって、かいぬしは、
らいおんの、ぬいぐるみをかって、いすに、おいているけど、
それをみてないと、いったことが、ゆめだったようなきがします。
そのくらい、ふしぎで、おもしろいいちにちでした。
ぼくは、しらないおおきなどうぶつは、こわくて、
すいぞくかんのほうがいいなと、おもっていたけれど、
じっさいにみたら、どのどうぶつも、のんびりしていて、
にんげんのめにみえない、しんだどうぶつも、
ぜんぜん、すがたが、みえませんでした。
「きっと、みんなもう、さっさとうまれかわって、
ちがうどうぶつになるか、こきょうにかえるか、したんだろ」
と、きゃらめるさんは、いいました。
たまに、こかげに、ねているやつや、えだのうえのとりとか、
しんだどうぶつも、みかけたけど、いきているあいだ、
ここで、しあわせにしていたのか、のんびりしていて、
ぼくたちのことも、きにしませんでした。
「こどものときのことは、あまりおぼえていないけど、
どうぶつえんも、むかしとずいぶんかわって、
どうぶつも、くらしやすくなってるみたいだなあ。
ひろくて、うんどうにいいし、にゅうじょうりょうはやすいし、
ときどき、さんぽに、くることにするか」と、
かいぬしは、いっていました。
くろねこの、あにゃんさんは、ふだんはおとなしくて、
いえにいるのが、すきなのに、どうぶつえんではむちゅうになって、
とおくまで、はしっていったり、おりのなかにはいっていったりするので、
きゃらめるさんは、「あいつ、こういうとこだと、ひとが、かわるんだな」
と、しんぱいしながら、かんしんしていました。
きゃらめるさんは、おおきくて、きれいな、きんいろとしろのねこで、
けんかもつよいんだけど、ようじんぶかくて、
いろんなどうぶつを、れいせいにかんさつして、
だいじょうぶとおもうと、ときどき、ちかづいて、すぐそばから、ながめて、
たのしんでいたみたいです。
ぼくは、こわいから、かいぬしのそばを、はなれませんでした。
いりぐちちかくに、「かば」がいて、さいしょは、みずのなかにしずんで、
いわみたいだったけど、かえりにみたら、およぎまわっていて、
はくりょくでした。

かいぬしは、「くま」がみたかったらしいけど、
こがたで、かわいらしい「まれーぐま」しかみられませんでした。

「ひょう」は、あちこち、あるきまわって、かっこよく、
「らいおん」と、「とら」は、どちらも、まんなかの、たかいところに、
えらそうに、ねそべっていて、どうどうとしていました。





「たたかうところや、えものをくらうところがみたいが、むりっぽいな」
ときゃらめるさんは、すこし、ざんねんそうでした。
ちょっとこわかったけど、またいってみたいです。
きゃらめるさんも、あにゃんさんも、またいきたいみたいです。
でもぼくは、すいぞくかんにも、いってみたいんだけどな。