ぼくたちの、しにかた(カツジ猫)
みなさん、こんばんわ
ぼくは、はちがつのすえに、しんだのだけど、
にわのおはかにいれてもらったあとも、
だいせんぱいの、きゃらめるさんや、くろねこの、あにゃんさんといっしょに、
かいぬしのいえで、くらしています。
かいぬしには、ぼくたちのすがたはみえないけど、
なんとなく、いるようなきは、しているらしいです。
あにゃんさんは、ぐあいがわるくなってから、すぐにしんだので、
かいぬしは、あっけにとられながら、
「なんて、おやこうこうなねこだろう。くすりも、ちりょうも、なにもしないで、
おかねも、じかんも、つかわせないで、まったく、てをかけないで」と、
なんだか、わりきれないかおをしていたそうです。
「まあ、ながくくるしまないで、よかったのじゃないか。
おれは、べつにそうくるしんだわけじゃないが、
けっこう、ながいこと、ぐあいがわるくて、
だんだん、たいじゅうがへっていって、
かいぬしは、『ゆーかり』のくすりを、くびわにつけてくれたり、
いろいろ、くふうしながら、まいにち、かなしそうだったしな」
と、きゃらめるさんは、いいました。
「ぼくは、さいごに、くちのなかが、おかしかったから、
しゅじゅつをしてもらおうかと、かいぬしはおもったらしいけど、
おいしゃさんが、もうとしだし、
しゅじゅつに、たえられるかわからないといって、
けっきょく、やめちゃったみたい」とぼくがいうと、きゃらめるさんは、
「そのほうがよかったじゃないか。
しぬまえに、いたいおもいや、くるしいおもいをするよりもな。
おれも、いちど、めのたまが、とびでたときに、
おしこんで、まぶたをぬってもらったことはあったが、
それいがいは、きったりぬったりされたことはないから、
まあよかったとおもってる」といいました。
あにゃんさんは、「でも、うえのいえにる、しょだいねこの、おゆきおばさんは、
じゅうななねん、いきて、しんだけど、しぬちょっとまえに、
にかいも、しゅじゅつして、また、いきのびたらしいよ」といって、
きゃらめるさんも、「すごいよな、おゆきばあさんは。
だいたい、じゅうななさいかどうかも、わからないんだぞ。
かいぬしが、ふくおかの、あぱーとにいたとき、しょうがつに、
まよいこんできたらしいんだけど、そのときもう、
かなりのとしにみえたっていうから、かいぬしは、としよりのねこで、
さいごをしあわせにしてやろうとおもって、かいはじめたってはなしだ。
そうしたら、それからじゅうななねん、いきたから、かいぬしは、
『もしかしたら、ねこじゃないんじゃないかしら』とよくいってたらしい」
と、はなしました。
きゃらめるさんは、またおもいだして、
「おれがしぬ、すこしまえに、かいぬしは、
まいにち、べっどで、おれに、ねこのでてくる、ほんや、えほんを、
こえをだして、よんでくれたんだ。
でも、もうさいごにちかいころ、よんでくれた、きれいなえのえほんは、
たしかに、ねこのことをかいてあったが、
いろいろ、きのきいたことを、かいていたなかに、
ねこのわるくちみたいなのを、かいていたところがあって、
しあわせなときなら、どうってことはなかったんだろうが、
かいぬしは、それにきがついて、すごくきずついた。
ほんをなげすてて、おれをだきしめて、
『ごめん、きゃら、こんなのうそよ、ぜったいうそよ。
こんなの、よんで、ごめんね、ごめんね、わすれてね」
とくりかえして、ほんなんか、すてたことのないひとなのに、
そのほんは、すぐに、すててしまった。
そのあとで、おれのかおが、めがつりあがって、
いつもとちがってきたのにきがついて、
もう、のぞみがないとおもったのか、
それまではまいにち、なんども、
『きゃらめるが、げんきになりますように』と、いのっていたが、
『かみさま、どうか、きゃらめるを、やすらかにしなせてください』
と、はじめて、いのって、ずっとないていた。
おれがしんだあとも、こえをあげて、ながいこと、ないていた」
と、はなしてくれました。

やっぱり、かいぬしにとって、きゃらめるさんは、
いろいろ、とくべつな、ねこだったんだなあ。
いきてるときも、しんでからも。
うらやましいというよりも、かなわないとおもいます。
いまから、ぎゃくてんなんて、ぜったい、むりだろうしなあ。
