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ぼくの、おかあさん(カツジ猫)

みなさん、こんにちわ

ちょっとごぶさたしてるけど、ぼくは、げんきです。

かいぬしは、このまえのよる、ぼくをひっぱって、だきよせながら、
 「おまえのおかあさんに、かんしゃしなさいよ。
 こんなにながいきできる、りっぱなからだをつくってくれてさ。
 かんじやすい、こころと、かなりゆうしゅうなあたまも、つくってくれてさ。
 うちのいなかのいえに、まよいこむまえに、
 ゆきのなかでも、しなずにすんだ、
 りっぱな、けがわも、そなえてくれてさ。
 まあ、あしこしは、ふつうのねこより、よわいようだけど、
 そうごうてきには、ほんとうに、りっぱにうんでくれたじゃないか」と、
 ぼくをなでながら、いいきかせました。

そんなことは、これまで、かいぬしはいったことはないし、
 たぶん、かんがえたこともないとおもうんだよね。

どうして、とつぜん、そんなことをいいだしたのかというと、
 そのまえのばん、てれびのどうぶつばんぐみで、
 あめりかの、どっかのまちで、あきびるが、かじになって、
 そこにすんでいた、ははおやのねこが、
 まだちいさい、こねこきゅうひきかじゅっぴきを、
 ひのなかを、いっぴきずつくわえて、いりぐちまではこんで、
 しょうぼうしのひとがみつけて、たすけてくれたんだって。
 じぶんは、ぜんしんおおやけどで、めもかたっぽつぶれて、
 しぬとおもわれたけど、かいふくして、こねこも、じぶんも、
 いいおうちにもらわれて、ながいきしたんだって。

そのはなしは、ゆうめいになって、えほんや、えいがにもなって、
 「せかいいち、ゆうかんな、ねこ」と、よばれるようになったんだって。

とてもいいはなしなんだけど、かいぬしは、そのはなしをしってからずっと、
 なんねんかまえに、わだいになった、ねこをぎゃくたいして、
 なんびきも、あついおゆをかけてころして、それをねっとで、こうかいして、
 それをみてよろこんでいる、ひとたちもおおかったという、はなしをおもいだしてるんだって。

ころされた、たくさんのねこのなかには、こねこが、おなかにいる、ははねこもいたって。
 そのねこは、おゆをかけられて、あたまのかわがむけてしまったのを、
ねっとでみたひとたちは、「せんきょうしみたい」と、ばかにして、みんなでわらったんだって。

そのははねこは、しろくろのもようで、「はちわれ」という、かおのもようだったって。
 そして、どんなめにあっても、ひとこともなかず、
 はらばいになって、ずっと、こねこのいるおなかをかばいつづけていたんだって。

「『せかいいち、ゆうかんなははおやねこ』というなら、
 そんなざんこくな、ころされかたをして、
 そのすがたを、あざわらわれて、
 それでも、おなかのこねこを、かばいつづけた、あのしろくろのおかあさんねこも、
 わたしのなかでは、その、えほんになった、ゆうめいなねことおなじぐらい、
 『せかいいち、ゆうかんなははおやねこ』として、
 ぜったいに、わすれられない」と、かいぬしはいいました。

「ひとも、どうぶつも、きょうも、あすも、りふじんにしぬ。
 くるしんで、あざわらわれて。
 そんなよのなかで、わたしにはなにもできないけれど、
 でも、あの、おかあさんねこのことは、わすれない。
 わたしだって、かぞくだって、むかしは、ふえすぎてこまったこねこや、ははねこを、
 かわや、やまに、なんびきもすてた。
 だから、おこるけんりさえも、ほんとうはない。
 でも、ただ、わすれない」とも、かいぬしはいいました。

「おまえにも、おかあさんがいたんだよね。
 そのひとが、おまえをこんなかたちにうんで、わたしにとどけてくれたんだよね。
 もちろん、もういきてはいないだろうけど。
 でも、そのひとのおかげで、おまえはここにいるんだよね」と、
 かいぬしはいって、ぼくをなでました。

 そういわれると、ちょっときになるけど、
 ぼくのおかあさんは、どんなねこだったのかな。
 ぼくとおなじ、けのいろと、もようだったのかな。
 まるでちがう、まっしろとか、まっくろだったのかな。

けは、ぼくとおなじに、ながかったのかな。
 まえばは、ぼくとおなじに、はみでてたのかな。
 めは、おおきくて、まるかったのかな。
 からだは、おおきかったのかな。ちいさかったのかな。
 そんなことを、かんがえています。
 
 なめてくれたのかな。
 くびをくわえて、はこんでくれたのかな。
 なんにも、おぼえてないけどさ。
 どんな、めすねこだったんだろうね。

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カツジ猫