ぼくの、しゃしんはのこすってさ(カツジ猫)
みなさん、おはようございます
かいぬしは、たないっぱいにつめこんでいた、たくさんのしゃしんを、
とうとう、しょぶんすることにしたようで、すこしずつ、すてはじめたようです。
「けっきょく、へんなはなしだけど、がくせいたちとうつってるしゃしんは、
ほとんどしょぶんしてしまうことになりそうだなあ。
いまおもうと、たのしかったけど、ゆめをみていたようなきがするひびだったしさ」
といいながら、それでも、ちょこちょこ、のこしているみたいです。
いなかのおうちや、かぞくのしゃしんは、
しんせきのひとがみるのに、いいかもと、ほとんどのこしているみたいです。
それよりずっとおおい、れきだいのねこのしゃしんは、
かいぬしは、いちまいもすてていません。
とくに、ぼくのしゃしんはものすごくおおいのに、
ぜんぶ、とっています。
そのりゆうとして、かいぬしは、
「だって、おまえは、わたしよりさきにしんでもらわないといけないしね。
おまえをあとにのこして、きにしながらしぬなんて、わたしはいやだもん。
でもさ、そうすると、そのときまだ、わたしがこのぶろぐを、つづけていられて、
ときには、おまえが、あのよからとうじょうして、
みなさんに、かたりかけるときだってあるかもしれないわけじゃん。
そのときに、つけるしゃしんが、
おまえはもういないから、あたらしくとれないわけでしょ。
それにつかうのに、なんまいあってもいいわけよね」
と、ぼくにせつめいしました。
そのあとで、「いいよ、きをつかって、はやくしななくても」
といったけど、はじめからそんなこと、かんがえてないよ。
かいぬしがしんだら、ぼくは、またあたらしいかいぬしと、
ちがったねこなま(じんせいじゃなくて、ねこせい、だけど、
かいぬしは、ねこなまというんだよね)を、たのしむんだから。
ふるいしゃしんのなかから、ぼくが、がらすのかびんで、みずをのむ、
へんなかおのしゃしんがみつかったのを、
かいぬしは、おおわらいして、
「ぜひ、みなさまにおみせしよう」といいました。
このかびんは、だいせんぱいの、きゃらめるさんが、
みずをのむのに、あいようしていたものらしいです。
「かれがしんでいなくなったあと、
ついいつも、あたらしいみずをいれておいたけど、
ほかのねこは、まるでつかわなかったのに、
おまえはすぐに、これでのみはじめたのよね。
きゃらめるも、ちょっとだけ、ちょうもうしゅがまじってたから、
ながいけのねこは、このうつわがすきなのかしら」と、
かいぬしは、ぶんせきしながら、まいにち、みずをかえてくれます。