ぼくの、つきめいにち(カツジ猫)
みなさん、おはようございます
ぼくが、いきていたころ、かいぬしはよく、
せんぱいねこのきゃらめるさんや、おゆきさんのはなしをしてくれました。
もう、しんでから、にじゅうねんや、さんじゅうねんになるねこたちで、
かいぬしが、なつかしがるのがくやしかったから、
ぼくはちゃんときいていませんでした。
きゃらめるさんは、はちねん、おゆきさんは、じゅうしちねん、いきたみたいで、
おゆきさんには、いちねんまけたけど、きゃらめるさんのにばいは、いきたから、
ちょっと、かったとおもっていました。
でも、かいぬしは、ぼくにときどき、
「ねえ、かつじ。ながくいっしょにいられるのはうれしいけど、
それは、おまえがしんだとき、わたしもいいとしだって、ことなのさ。
だから、きゃらめるや、おゆきさんみたいに、
なんじゅうねんも、おまえのめいにちをくようするのは、むりだろう。
せいぜい、がんばって、ごかいか、ろっかいかな。
じゅっかいいじょうできたら、わたしもおどろくね。
そこはまあ、あきらめておくれ。
ながく、このよで、いっしょにいられるから、いいじゃないか」
といって、ぼくをなでたり、だきしめたりしました。
なんとなく、つまんなくて、ぼくは、きかないふりをしてたけど、
あんまり、なんかいもいわれるから、なんとなく、
ぼくはあんまり、めいにちのおそなえは、もらえないなとおもっていました。
しんでからも、それをおもいだして、
まさか、らいねんまでは、かいぬしもいきていて、
いっかいぐらいは、めいにちをしてもらえるかなとおもったり、
だめだったら、それもしょうがないやとおもっていました。
「おまえは、あきらめがよくて、やるきがないからねえ。
さんざん、かわいがってやってても、ちょっとわたしがつめたくすると、
『しってた』みたいな、さとったかおをするのが、ほんとむかつく」
とかいぬしは、いっていました。
いぬの、「ばろん」さんは、かいぬしが、うっかり、そまつにすると、
じぶんはなにもわるくないのに、
「なにがいけなかったかな。どこがわるかったかな」と、
まじめに、いっしょうけんめい、かんがえているようなので、
「それはそれで、きがとがめて、はんせいしてばかりだった」と、
かいぬしは、いちどいったことがあります。
めいにちには、としごとのめいにちいがいに、まいつきの、おなじひの、
「つきめいにち」もあるそうです。
きょうは、ぼくの「つきめいにち」なので、
なにかしてくれるときいていたけど、
あさおきたら、おはかのまえのおうちのろうかに、
おはなと、えさが、そなえてあって、
ぼくの、だいすきな、ふくのおさしみが、
ふたさらも、おいてありました。
うそだろー、さいこうです。
きょうはいちにち、これをたべてすごします。
かいぬしのめには、みえないだろうけどさ。


かいぬしは、「あー、わたしもばかよねえ。
こんなことしたら、ぜったい、まいつき、やらなきゃならなくなるのに。
でもまあ、いっか。
ほかのねこたちやばろんは、
なんじゅうねんも、なんじゅっかいも、めいにちをやってきたけど、
つきめいにちは、したことがない。
おまえに、つきめいにちのたびに、これやってたら、
にさんねんで、かいすうは、ほかのねこにおいつくだろうから、
それで、ちょうどいいかもね」と、いっていました。
なかなかいいことを、おもいつくじゃないか。
ぼくも、おおいに、さんせいです。
むしゃむしゃ、かりかり。