ぼくの、てざわり(カツジ猫)
みなさん、おはようございます
かいぬしは、ぼくがいきていたときの、このしゃしんをみては、
「なんかさ、とうぶん、しにそうにもない、なまいきなかおしてるんだけどなあ」
と、いっています。
おおきな、おせわだい。

ぼくは、このまえのなつのおわりに、
きゅうに、ぐあいがわるくなって、しんだのだけど、
いきてるときには、きづかなかった、
ずっとまえにしんだ、せんぱいねこの、
「きゃらめる」さんと、「あにゃん」さんも、
このいえにすんでいて、
いま、かいぬしのめには、みえないらしいけど、
ぼくらは、さんびきで、かいぬしといっしょに、
このいえで、くらしています。
あにゃんさんは、おとなしい、くろねこで、
きゃらめるさんは、これまでかいぬしがかったねこのなかで、
いちばんの、おきにいりです。
そこは、ちょっと、くやしいけど、でも、きゃらめるさんは、
「みるく」という、しろい、きょうだいねこがいて、
いっしょにくらしてたので、
かいぬしと、いきているとき、ふたりだけでくらしたのは、
しょだいねこの、「おゆきさん」と、さいごのねこの、ぼくだけです。
「さいごのねこ」というのは、かいぬしが、
「もう、わたしもとしだから、あたらしくねこをかったら、
さきにわたしが、しぬかもしれないから、もうかわないわ」と、
せんげんしているからです。
「その、さいごのねこが、こんな、へんなせいかくのねこだなんて」
と、よく、ともだちに、ぼやいていました。
でも、ぼくが、しぬときのようすが、
「びびりの、なさけない、よわむし」と、かいぬしがおもっていた、
いめーじとちがって、おちついて、くーるだったので、
かいぬしは、いがいだったようで、
「あんがい、おおものだったのかも。さいごをかざるにふさわしい、
なんだか、なぞめいた、りっぱなねこだったみたい」と、
ぼくのことを、みなおしていました。
でも、そのいっぽうで、
「ひょっとしたら、ぜんぜん、しぬきはなかったから、
あんなに、おちついていたのかもしれない」と、うたがっています。
たしかに、そっちにちかいかな。
とても、つかれて、ねむかっただけで、
またすぐ、もとのようになるとおもってたから。
とにかく、ぼくは、あっというまにしんでしまって、
はんつきも、かかりませんでした。
あにゃんさんは、もっとはやくて、
なんにちもたたずに、しんでしまったらしいです。
きゃらめるさんは、はっけつびょうで、
なんねんも、かかって、だんだん、やせていったんだって。
「さいせいきには、ななきろあったんだけどな。
しぬときには、にきろぐらいで、いたみたいに、ぺしゃんこだった」
と、きゃらめるさんは、いいます。
いまのすがたは、さいせいきのようで、おおきくて、りっぱです。
「みるくさんは、どうしたの」ときいたら、きゃらめるさんは、
「おれがしんだあと、かいぬしは、のこったみるくを、みているのがつらくて、
いなかのははおやに、あずけたんだ。
きのいい、げんきなやつだったから、そこで、かわいがられて、
しあわせだったらしいんだが、そのうち、いえでしてしまったらしい。
かいぬしも、だいぶさがしたらしいが、そのままだった。
けっきょく、どこでしんだのか、しらんが、いまもときどき、あそびにくる。
いなかのいえにも、かおをだしているらしい」
といいました。
「おれたちは、よにんきょうだいで、みるくと、もういっぴきは、
おやじが、しゃむねこだったらしく、みためも、そうだった。
おれと、もういっぴきは、こんなふうに、ちょっとけがながかった。
おやじは、ちかくでかわれていた、おおきなぺるしゃねこだったらしい。
おれは、おれんじいろとしろだが、もういっぴきは、
ちょうど、おまえみたいな、はいいろとしろで、
かいぬしのははおやは、『けむり』となまえをつけて、
ふだんは『けむ』とよんでたらしい。
もういっぴきの、しゃむねこっぽいのは、なまえも、どうなったかも
かいぬしは、おぼえてないらしいが、
『けむり』は、わりとすぐ、びょうきでしんでしまって、
かいぬしのははおやは、『けむりみたいに、きえちゃったねえ』と、
なげいていたってことだ」と、
きゃらめるさんは、おしえてくれました。
ちょうもうしゅといっても、きゃらめるさんは、
ぼくみたいな、ほんとうのちょうもうしゅじゃなくて、
ながいけと、みじかいけが、にじゅうになっています。
だから、ふわふわだけど、けだまができたりはしません。
「けむり」さんも、きっとそうだったのかな。
だから、ぼくと、そっくりじゃないけど、
あっさり、すぐに、しんでしまうところは、
にていたのかもしれないな。
あってみたいけど、こっちのいえには、こないんだろうな。
きたこともないし、すんだこともないし。
かいぬしは、このごろ、
「かつじの、てざわりを、わすれそうだなあ」と、なげいています。
このまえ、どうぶつえんで、かってきた、らいおんや、
くろーぜっとにしまっていた、いのししや、
「ぶさかわぶっこ」の、ぬいぐるみを、そばにおいて、
ぼくのかわりに、まいにち、なでています。
「こんなにはやく、いなくなるとおもわなかったから、
せいかくな、てざわりを、おぼえていないのよ。
あんまり、ふわふわじゃなかったきもするんだけど」とか、
かんがえてみています。
きゃらめるさんの、けのてざわりは、まだいきているときに、
ちかくの、かいがんのすなはまで、すなをてに、すくって、
ゆびのあいだをくぐらしたとき、
「あー、きゃらのけと、おなじてざわり」とおもったので、
「わすれそうになったら、あそこのはまべにいって、
すなをてにすくえばいいのよ」と、あんしんしています。
「おまえにも、なにかそういうのを、
みつけておけばよかった」と、くやんでいますが、
どうしてもっていうなら、ぶらしですいた、ぼくのけや、
しんだあとで、ちょっときりとった、けのふさを、
ちゃんととってあるじゃないか。
いよいよとなったら、あれをつかえばいいのさ。