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ぼくの、はならび(カツジ猫)

みなさん、こんばんわ

いきているとき、ぼくは、だいすきなおさしみでも、
たべるのが、あまりじょうずじゃなくて、
かいぬしから、ときどき、からかわれたり、
しんぱいされたりしていました。

「どらいふーどは、けっこうへいきで、じょうずにたべているのにね」
と、かいぬしは、ふしぎがって、
 「おまえは、だれもがみとめる、いけめんにはちがいないけど、
よくみたら、おくちから、きばがのぞいているのよね。
 それがまた、みりょくなんだけど、
かみあわせか、はならびが、わるいのかい。
 なんだか、たべにくそうなのは、それもあるのかな。
 さゆうたいしょうだから、あごが、ゆがんでいるわけじゃないし」
 と、べっどで、ぼくのかおをまくらのうえでみて、
よく、いっていました。

さいしょ、このいえにきたころは、ぼくは、よく、
かいぬしに、かみついていて、
そのころは、はも、とがっていたから、かいぬしのうでは、
ときどき、ちだらけになっていました。

「これまで、たくさんねこはかったけど、
こんなに、かみつくねこは、はじめて。
 ちょうもうしゅというか、ようねこは、こうなのかな」
と、かいぬしは、くびをかしげていました。

だんだん、ぼくは、かみつかなくなったけど、
としをとるにつれて、きばも、まるくなってきて、
たまに、かみついても、かいぬしのてには、
そんなに、きずはつきませんでした。

ぼくのきばは、まえや、よこからみても、
そんなには、わからなくて、
しゃしんでは、ほとんど、わかりません。

ぼくがしんで、おはかにうめてもらったあとで、かいぬしは、
「しゃしんは、いっぱいあるけれど、
あのきばが、みられないのは、ちょっとさびしいな」と、
よくいっていました。

そうしたら、るすばんにきてくれていたひとが、
「きばが、うつっているしゃしんを、とっていました」といって、
わざわざ、もってきてくれました。
 かいぬしは、おおよろこびで、「これこれ」といって、
まいばん、ずっとみて、なつかしがって、わらっていました。

そのあとで、じぶんのもっているなかにも、
なんまいか、きばがみえる、しゃしんがあるのに、きづいて、
「さがせば、まだ、でてくるかもね」といっています。

たぶん、ぼくが、いきているときも、しんでからも、
けんかによわいのは、この、はならびのせいかもしれません。
 かいぬしは、「はならびって、はなびらとまちがえそう。
しんじゅのような、は、とよくいうけど、
はなびらみたいな、きば、というのも、いいかもね」と、
しゃしんをみながら、いっていました。

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カツジ猫