ぼくの、ひぞうしゃしん(カツジ猫)
みなさん、こんばんわ
これは、ぼくがまだ、いきているときのしゃしんです。
それも、ずいぶん、わかいときのです。
ぼくが、きゅうりと、あそんでいるしゃしんだけど、
「なんだか、えろちっくにみえないでもない」と、かいぬしはいっていて、
だいがくのせんせいたちとの、のみかいのときに、
えらいせんせいに、これをみせて、よろこばせていたみたいです。
そのときに、そばのわかいおんなのひとが、
「わたしにもみせてください」といったので、
かいぬしは、もちろん、すぐにみせたけど、あとではんせいして、
「おんなのひとに、みせるのはちょっと、とおもってね。
いやがられるかもしれないし。
だから、みせないでいたんだけど、かんがえれば、それもさべつよね。
わたしのそういうたいどって、あるいみ、おとこのひととおなじかもしれない。
あまり、よくないよね。でも、どうしたらいいもんだか」と、
へんに、なやんでいました。
そんなこというなら、ぼくの、こんなしゃしんを、ひとにみせびらかすのも、
そこんところは、ぼくにたいして、どうなんだよって、おもうけどさ。
このしゃしんのことを、かいぬしはわすれていて、
しりあいのひとが、かいぬしにもらっていたのを、
わざわざ、おくってくれたそうです。
「これまた、あしをむけて、ねむれないねえ。ありがたいことだ」と、
かいぬしは、かんしゃしていました。

でも、かいぬしは、むかしとちがって、
このしゃしんをみると、わらうより、なんかしみじみして、
「おまえ、こうやって、あそぶのが、すきだったんだよなあ。
それなのに、わたしはいそがしくて、めったにあそんでやれなかった。
わるかったなあ。それはほんとに、こころのこりだよ」と、
ためいきをついていました。
ちょっとぐらいはそうやって、はんせいするのもいいけれど、
げんきでながいきして、ぼくの「めいにち」を、
いっかいでもおおく、やってほしいから、からだのためにも、
あんまりくよくよしないでほしいです。
にわのさんぽも、たのしいけど、
そろそろ、いえのなかにいって、
いきてたときのように、
べっどでいっしょに、ねてやろうかな。

