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ぼくの、ぼひめい(カツジ猫)

みなさん、こんばんわ

ぼくは、このなつにしんで、かいぬしは、いえのなかからみえるばしょに、
おはかをつくって、うめてくれました。
 いつもきていた、ねまきや、むかしむかしのかぞくとつかっていた、
ふるいたおるのがうんや、かーねーしょんのはなや、ちゅーるもいっしょに、
うめてくれたので、いまはみんな、ぼくのからだといっしょに、つちになったけど、
においや、ふんいきはのこっているから、かいてきなくうかんです。
 ぼくの、ほねだけが、のこってるから、ちょっとじゃまなんだよな。

「ぜいたくをいうな。おれたちのはかのなかの、ほねは、
まあいってみれば、『ひょうさつ』みたいなもので、
おれたちがいたって、めじるしさ。
 まあ、くだけてなくなれば、それもそれでかまわないが」
 と、だいせんぱいの、きゃらめるさんは、いいました。

かいぬしは、ぼくのおはかが、いつもいえのなかからみえるのを、
「これなら、さびしくないだろ」とよろこんでいます。
 でも、ぼくはもう、じゆうにうごきまわれるから、
かいぬしのめにはみえなくても、わりといつも、いえのなかで、
そばにいたりしてるんだけどな。

それはまあ、いいんだけど、かいぬしは、よるになって、
ぼくのおはかのみえる、がらすどのかーてんを、しめると、
ぼくがいやかもしれないと、おもうらしくて、
ずっと、あけっぱなしています。
 いえの、うらがわだからいいけど、やっぱりよなかまで、
そとから、いえのなかが、かなりみえるのは、
ぶようじんじゃないかと、おもいます。

このまえ、かいぬしが、すうじつ、るすにしたとき、
おとなりのひとが、「よるに、あかりがみえないと、
なんだか、さびしかったです」といったので、
かいぬしは、「それって、ちょっと、うれしいじゃん」と、よろこんでたけど、
それだけ、おうちのなかも、よくみえてるはずなんだよな、そとからは。

かいぬしは、「そのへんにうえた、きが、もうすこしそだてば、
めかくしにもなるだろうから」とかいってるけど、
そんなの、いつのことか、わからないじゃん。

かいぬしは、さすがにまずいとおもいだしたのか、
ただの、いえのかたづけの、ついでなのか、
おおむかしに、まちの、「わし」のみせでかって、そのままにしていた、
りっぱな、かみが、おしいれのなかから、みつかったので、
「おお、これはつかえる。ちょっと、しょうじっぽくなるやん」
 と、うかれて、がらすどのまえの、こうしどに、
そのかみを、がびょうで、とめました。

たしかに、わりと、かんじんなところは、かくれるし、
すきまからちゃんと、ぼくのおはかはみえるし、
「しょうじ」みたいに、みえないこともないし、
しゃれたかんじになったと、かいぬしは、まんぞくそうです。

「かつじがいきてたら、ひっかいて、やぶったかな。
でも、おまえは、ふしぎなくらい、そのてのいたずらは、
しなかったんだよね。
 はねやら、なにやらが、ぴらぴらついた、まどかざりの、
『どりーむきゃっちゃー』を、きっと、はかいされるとびびりながら、
おまえのいつもねている、くろーぜっとのまどに、さげてみたら、
まるっきり、きょうみをしめさなかったときは、
こいつ、ほんとうに、ねこかと、まじで、おもったよ。
 そのくせ、ねこじゃらしで、あそぶのは、だいすきで、
おきゃくさんたちと、いっぱいじゃれてたみたいだし。
 かいぬしとしては、ありがたいけど、
なぞのおおい、ねこだったよなあ」と、かいぬしは、
がらすどをみながら、ぼくにはなしかけています。

しろい、じょうとうのかみは、ひかりもよくとおすから、
ひるまも、ちゃんとあかるいし、よるも、あかるいかんじになるし、
たしかに、かいぬしにしては、いいあいでぃあかもしれません。
 かみの、いちまいには、はなのもようが、うかんでいて、
もういちまいには、えいごのもじが、かいてあって、
「あい らぶ ゆう」とよむみたいです。
 「それも、おまえへのめっせーじとして、ぴったりじゃないか。
ちょうどいい、ぼひめいかもだよ」
 と、かいぬしは、じまんしています。

がらすどのまえにおいた、つきめいにちの、はなと、おそなえのかごも、
とうぶん、そのままにしておくことにしたようです。
 「こんど、おまえの、このみそうな、
さかなのかんづめとか、かつおぶしをかってきて、
かごにいれておけば、ほぞんしょくの、おきばしょにもなるやんね」
 と、かいぬしは、いっています。

これは、だいぶまえのしゃしんだけど、
ぼくのおはかのなかは、ふんいきとしては、ちょっと、こんなかんじかな。
 ひによって、ぼくのきぶんで、いろんなかたちになるけれど。

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