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ぼくの、みずのみば(カツジ猫)

みなさん、こんにちわ

このしゃしんは、ぼくが、いきていたとき、
いつも、みずをのんでいた、がらすのかびんです。

かいぬしには、おかねもちのおばさんがいて、
いろんなりっぱなものを、くれたみたいで、
このかびんも、そうです。

ぼくのせんぱいねこで、かいぬしが、いちばんすきだったらしい、
「きゃらめる」さんが、いつも、このかびんで、みずをのんでいたから、
かいぬしは、はなをいれたことがなくて、
きゃらめるさんの、みずをのむせんようにしていたそうです。

きゃらめるさんは、きんいろとしろのきじねこで、
ぼくとおなじ、ようふうの、ちょっと、ちょうもうっぽい、ねこだったようです。
 ほかのねこは、このかびんで、みずはのまなかったので、
きゃらめるさんの、せんようでした。

きゃらめるさんは、おおきなりっぱなねこだったけど、
えいずと、はっけつびょうで、はっさいで、しにました。
 かいぬしは、そのあともずっと、このかびんには、はなをかざらず、
きゃらめるさんのために、いきていたときとおなじように、
みずをかえてやっていました。

そのころ、かいぬしは、びょうきで、しばらくにゅういんして、
るすをたのんだひとが、このかびんを、あらって、きれいにふいて、かたづけていたので、
たいいんしたとき、それをみて、たおれそうになったそうです。

びょうきは、たいしたこともない「しきゅうきんしゅ」のしゅじゅつだったけど、
しゅじゅつのあとで、のどがかわいて、とてもくるしかったよるもあって、
そのときのことをおもいだして、
 「きゃらめるはどんなに、みずがほしかっただろう」とおもいながら、
かびんに、またみずをいれながら、なけてしかたがなかったそうです。

まあもう、にじゅうごねんもまえのことで、
かいぬしも、わかかったんだろうけど、
そんなに、なげかせる、きゃらめるさんはすごいなと、
ちょっと、くやしいきもします。

かいぬしは、そのことを、うっかり、ほーむぺーじの、けいじばんにかいたら、
「よんでいて、ただ、かなしくて」と、かいてきたひともいたけど、そのなかに、
「わたしも、ひょっとしたら、おなじことをしたかもしれないとおもったら、
なんだかおそろしくなった」とかいてきたひともいて、
 かいぬしは、ものすごくおこっていました。

「わたしは、うっかりかびんをあらって、かたづけたひとのことは、
そんなにおこってはいないよ。
 たのんでもない、いらんことをするひとというのは、よくいるし、
いちいち、はらをたててたら、きりがない。
 しょせん、しかたのないことさ。
 ただ、それにたいして、こういうふうに、じぶんもおなじことするかもしれない、
みたいなこと、わざわざかいてくるやつは、だいきらい。
 なにをいいたいの。かしこぶって、いいひとぶって、
まえもって、ゆるしてもらおうとよぼうせんはって。
 べんじょのかべにはってある『きれいにつかってくれてありがとう』と、
せんせいこうげきしてくる、あの、はりがみとおなじじゃないの。
 べんじょのはりがみは、それでいいけどさ。
 ちゃんとしたにんげんなら、そんなことは、おもってもだまっておけっての。
 なにを、いちいち、しゅやくづらして、かっこいいことかいたつもりで」と、
おもいだしては、ののしっていました。

それからも、なんびきも、ねこをかったけど、
このかびんで、みずをのむねこはいなくて、
でも、かいぬしは、ずっと、みずをいれて、おいていました。

きゃらめるさんがしんで、じゅうねんぐらいして、ぼくがきて、
すぐに、このかびんのみずをのみだしたので、かいぬしは、おどろいて、
 「おまえ、あしこしはよわいし、びびりだし、けんかはよわいし、
きゃらめると、まるきりにてもにつかないのに。
 ひょっとして、ちょうもうしゅは、このかびんが、すきなんだろうか」
と、くびをかしげていました。

かいぬしは、いまのあたらしい、ちいさいいえに、ぼくをつれてくるとき、
このかびんももってきて、さいしょはゆかにおいていたけど、
そのうちに、だいどころの、つくえのうえにおきました。
 となりのつくえと、だんさがあるのも、きにいって、
ぼくはずっと、みずは、このかびんから、のんでいました。

ぼくは、あしこしがよわくて、たかいところに、とびあがれないのに、
べっどのあたまのところのてーぶるから、だいどころのつくえに、
とびうつって、みずをのみにいくので、かいぬしは、
「きっと、いつかおっこちて、わたしがかえってきたら、
ゆかのうえで、しんでるんだわ」と、いつもしんぱいしていました。

ほかののぼりみちをつくってくれたり、かぐのはいちをかえたり、
いろいろくふうしてくれたんだけど、ぼくは、このたにまを、
えいやっと、とびこえるのが、すきで、いつも、かいぬしのめのまえで、
みがまえて、こしをふって、じゃんぷしてみせるのが、たのしみでした。

たいちょうをくずして、さいごのにしゅうかん、ねたりおきたりしていたときは、
みずものめなくなって、かいぬしが、かびんをゆかにおろしてくれたけど、
もう、のみたいとは、おもいませんでした。

さいごにのんだ、みずのはなしは、またいつか、します。

かいぬしは、いまも、かびんにみずをいれて、まえとおなじところにおいています。
しょうめんからとった、ぼくがみずをのんでいるしゃしんを、
ぼくが、みずをのむときにすわったばしょにかざっています。
まいあさ、それをながめては、「めつきのわるいかおだね」と、
なんだか、うれしそうに、いっています。

「もんだいは、このかびんだよ。もうねこはかわないし、
みずをのむものもあるまいから、はなをかざってやったほうが、
かびんとしたら、うれしいかもね。
 でも、おまえやきゃらめるがのみにくるかもしれないから、
ずっと、このままにしておくべきかもね」と、かいぬしは、
まいにち、なやんでいるみたいです。

「めいんくーんとか、さいべりあんとか、ちょうもうしゅのねこをかって、
このかびんで、のむかどうか、じっけんしたくもあったんだけど、
もうそんなこともできそうにないしなあ。
 ゆいごんじょうにかいておいて、だれかにかわりにじっけんしてもらうか」などと、
みれんがましいことをいったりしています。

ほんとにいろいろ、つぎつぎいろいろ、かんがえるよなあ。
 こっちは、みてて、あきないからいいけどな。

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カツジ猫