ぼくは、いないふり(カツジ猫)
みなさん、こんばんわ
かいぬしは、このごろ、たいちょうがわるくて、
びょういんにいったり、くすりをのんだり、いそがしそうです。
ちょうしのいいときは、げんきなのだけど、
ねつがでたり、おなかがいたかったりするらしいです。
ときどき、ぼくのしゃしんをみては、
「かつじ、おまえは、あんまりくるしまないで、
すうっとしんだと、おもっていたけど、
やっぱり、それなりに、きつかったのかもなあ」と、
へんに、かなしそうに、いっています。
ぼくは、もうしんでいて、すがたがみえないのは、わかってるけど、
やっぱり、しんぱいなので、かいぬしの、そばにねたり、
あしに、すりついたりしていたけど、
いっしょに、このいえにいる、だいせんぱいの、きゃらめるさんから、
「ほっとけ、こんなときは、おれたちがいることを、
きづかせないほうが、いいんだ。
なるべく、けはいを、けしとけよ」と、いわれました。
「なんでだよ」と、ぼくがふしぎがると、きゃらめるさんは、
「おれたちが、いることを、かんじさせると、
かいぬしは、きもちが、やわになって、よわくなっちまう。
こどくで、だれもいなくて、ひとりでいきてるとおもうと、
つめたいきもちになって、どこまでも、つよくなる。
そっちのほうが、らくなんだよ。
いろんなことと、たたかうにはな。
おれたちは、もういなくて、しんでしまって、
かんぜんに、きえてると、いまだけでも、おもわしとけ。
よゆうができたら、また、おれたちが、そばにいるのを、
かんじて、しあわせになるんだから」だって。
「わかんないな。こんなときこそ、ささえてやるのが、
ぼくらの、やくめなんじゃないの」と、きくと、
「わかってないな。いきてるときだって、
おまえ、そんなことかんがえてなかっただろ。
おれたちは、すきなようにいきて、しぬ。
だからこそ、おたがいに、うまくいくんだ。
いま、おれたちがそばにいるとおもっても、
かいぬしは、さびしくて、くるしいだけだ。
おれたちが、もういないとおもったほうが、
かいぬしは、ずっと、らくなんだ。
とにかく、とうぶんは、けはいをけして、
しんだふりをしておけ」といいました。
「だって、もう、しんでるんだけど」と、ぼくがいいかえすと、
きゃらめるさんは、「こまかいことは、きにするな」といって、
ぼくのみみを、なめました。
やっぱり、せんぱいで、いっしょにくらしている、
くろねこの、あにゃんさんも、
「しんぱいしなくていいよ。かいぬしは、こんなの、なれてるから」
と、おちついているので、
ぼくも、そうかなとおもって、しばらく、かいぬしを、
ひとりにしておくことにしました。
そういえば、ぼくも、ちいさいときに、すてられて、
おなかをすかして、さむいなかを、ひとりであるいていたときも、
つらくて、さびしくても、そんなにかなしくはなかったようなきがします。
あのまましんでも、それはそれで、
きっと、そんなにふこうじゃなかった。
たぶん、きゃらめるさんのいうことが、ただしいんだ。
ぼくたちは、たしかに、かいぬしのそばに、いるんだから、
いてほしいとおもうひとには、そうかんじてもらえればいいし、
そうでないひとには、きづかれないで、かまわないんだ。
