ぼくは、すーぱーにいった(カツジ猫)
みなさん、こんばんわ
きょう、かいぬしが、「あめがふって、くさが、ぬけやすくなった」といって、
にわで、くさむしりをしていたので、ぼくと、きゃらめるさんと、あにゃんさんは、
そばで、みていました。
ぼくたちは、みんな、もうしんでいるから、
かいぬしのめには、みえません。
でも、ぼくたちがいると、かいぬしは、なんだか、たのしそうです。
きのせいかな。
かいぬしが、ぬいたくさに、ぼくたちがじゃれていると、かいぬしが、
「あ、すーぱーに、やさいをかいにいかないと」といいました。
でも、かいぬしのくちは、うごいていなかったので、あれ?とおもっていたら、
せんぱいねこの、きゃらめるさんが、「おまえ、おぼえがはやいじゃん」といいました。
なんのことかとおもったら、しんでから、しばらくすると、
かいぬしが、こえをださなくても、
あたまのなかで、いったことが、きこえるようになるんだって。
「はっきり、かんがえないと、きこえないけどな」と、
きゃらめるさんはいいました。
「いっしょに、すーぱーに、いってみたい」と、ぼくがいうと、きゃらめるさんは、
「しょっちゅういくから、いつでもいけるさ」といいましたが、
「まあ、つきあってやるか」といって、また、かいぬしのくるまにのって、
ぼくたちは、すーぱーに、いきました。
あにゃんさんも、きょうは、きました。
すーぱーは、ひろくて、いろんなものが、いっぱいありました。
かいぬしは、ねこや、いぬのえさが、ならんでいる、たなのまえで、
なんだか、かなしそうにしていました。
ぼくが、よくたべていた、ちゅーるや、かんづめがならんでいたから、
おもいだしたのかもしれません。
「もう、おまえのえさをかわないでいいから、
おかねがへらずにたすかるわ」と、よろこんでいたのじゃなかったのかよ。
「きみたちは、どれをたべていたの」と、にひきに、きいたら、
きゃらめるさんは、みまわして、
「おれのいきてたころに、うってあったかんづめは、もうほとんどないなあ」
と、いっていました。
「したびらめのはいってたやつとか、うまかったんだがなあ」といってたけど、
あまり、みれんはないようでした。
あにゃんさんは、あまりおぼえていないみたいでした。

かえりは、いきとちがったみちを、とおりました。
たんぼのむこうに、たかいやまがみえる、いいけしきでした。
かいぬしが、そのやまをみてわらっているので、
どうしたのかとおもっていたら、きゃらめるさんが、
「こいつは、かえりみちで、くるまから、このやまをみるたびに、
やまのむこうから、『ごじら』よりもっとおおきい、かいじゅうがのぞいて、
こちらにきたら、どうやって、いえにもどって、
おまえをつれて、にげようかと、いつもかんがえていたらしい。
どこかの『げんぱつ』で、じこがおこって、
あのやまのむこうで、『きのこぐも』があがったら、
やっぱり、おまえをくるまにつんで、
どっちのほうに、にげようかと、かんがえていたらしい。
いまは、おまえもしんだから、
もうそんなことは、なにもきにしないで、
じぶんだけ、にげるか、しぬか、すればいいから、
ぐっと、きが、かるくなって、
ここをとおるたびに、わらっちまうらしい」と、おしえてくれました。
「ごじら」や「げんぱつ」ってなにかわからないので、きいてみたら、
きゃらめるさんは、「こんど、てれびにでたら、おしえてやる」といいました。
あにゃんさんが、よこから、
「ごじらって、とかげの、おおきいようなやつだよ」とおしえてくれたので、
ちょっといめーじが、つかめました。
かえって、かいぬしが、ごはんをつくっているあいだに、
ぼくたちはまた、べっどのうえで、とっくみあいをして、あそんで、
それから、いっしょに、ねました。
きゃらめるさんは、ぼくの、みみを、なめてくれました。