ぼちぼちでんなー
予定はいろいろ立ってるのだけど何ともペースが遅すぎる。昨日はぼやっとしていて、予定を一つすっぽかした。気をつけないと、ほんとヤバいぞ。
それでなくても私は最近(そうか?)過激になってて、今は電車でマスク無しで咳をしたら追い出されるとか聞くと、マスクしないで電車に乗って思いきり咳をし続けてみようかしらとか、つい思ってしまう。
先日は五月にやる九条の会の記念行事で、分科会の一つにジェンダーを取り上げてはという案が出て、それはとてもうれしいし、ありがたかったのだが、「私の恨み言聞いてばっかりでもアレですから、誰か専門的な人に話を聞くようにしては」と言ったのをきっかけに、いろんな意見が出て、お一人が「本当にそれで苦しんでいる女性を誰か招いて、その声を皆で聞いてみたい」という意見を出されたのは、もしかしたらどなたか心当たりがあっておっしゃったのかもしれないけど、妙にお尻がむずむずした。
ほら、たとえば学校の性教育で、女の子の生理とかばっかり教えて、男子の精通とかについてはろくに教えないで(最近はちゃんと教えてるみたいだけど)、あげくのはてには「女の子は大変だから男の子は守ってやらなきゃいけなーい」みたいな、妙てけれんな腐った騎士道精神丸出しの意識をガキが持とうとしたりするのが、身の毛のよだつほど、ウザくてキモくて嫌だった。自分は直接受けたことはないけど、そんな性教育の授業が自慢たらしく、よく紹介されていた。あれなら鬼畜系のわいせつポルノで興奮してる方が、よっぽど爽やかでよろしいと感じたものだよ。
で、それとどこかで似たものを感じたのだよね。「私自身ジェンダーとかよくわからないのだけど」と言いながら提案した事務局長も含めて、男性たちのそういう何とか関わろう学ぼうとする姿勢はとても好きなんだけど。それに難しいよね。私たちが障害者や被災者や被差別者のことについて話したら、きっとどうせ似たようなことしてしまいそうな気もするし。すでにもうしているかもしれないし。
でもさ、被害にあって苦しんでいる女性の話を聞いて何かを学ぼうって、それやっぱり何かこう、どうなんだろうね、いやまったく。
私すんでのことに、「いやーもう、それなら私のレイプされた(レイプした、でもよかったな、今考えると)体験でも聞きますかあ?(そのくらいの覚悟あるんだろうなおんどりゃあ、ええ?)」って思いっきし無邪気そうな顔で言ってみたくて、危うく思いとどまった。というか、その前に別の女性が「ジェンダーは女性の問題じゃなくて、男性の問題ですよ。家庭や日常での自分のしていることを考えることから始めていただかなくちゃ」と言って、他の女性たちも賛同し、話が盛り上がっちゃったので、おかげで危険発言はしなくてすんだけど。
わ、わ、わ、もうこんな時間。朝ごはん食べなきゃ。
写真は我が家のユキヤナギ。暴れまくってる龍みたいでしょ。実物はもっときれいなんだぞー。