ぼんやりしたい。
◇何だかもう、ゆっくり立ち止まってじっくりいろんなことを考える時間がほしいなあ。するべきことは決まっているし、それなりに面白くはあるのだが。
◇DVDの「セックス・アンド・ザ・シティ」の一番初めと言うか、第三シーズンあたりをぼやっと見ているのだが、最新の映画まで見た後で、こんな昔の話を見直すと、あらためて思うがキャリーはよくもまあ、ビッグを立派にしつけたというか飼いならしたというか、感心感動感服する。いや、しつけたとか飼いならしたとかいうより、これはもう死闘だな。男と女の、二人の人間の。
その昔よく話題になった「ハイト・レポート」、私は女性版も好きだったが、それ以上に男性版がとても好きだった。理由を説明してるヒマがないので、機会があったらまた話す。
で、その10年ぐらい後で出た、補充だか追加だか続編だかの新しい版は前ほどの話題にはならなかったが、私は一応読んで、「アメリカの女性たちの問題は、こんなところまで進んでいるのだ」という感慨を持った。もうそれはレイプとかクリトリスとヴァギナとかいう水準ではなく、女性たちが男性たちから受ける暴力や苦痛が、「何を考えているかわからない」ということであるということで、わー、そういうことまで文句をつけていいのかと驚いたのである。
もう一つは、そこで女性たちが、男性のこういうところに苦しめられる、と言って告発していることが、ほとんどすべて、私自身にあてはまることで、「怒っているのかどうかわからない」「心の中に入って行けない」「本心がつかめない」みたいなことばかり、それって多分、私の親しい人たちが皆私に感じていることだろうなということで、「え、それがそんなに責められるようなことかい」と正直びびった。少なくとも私には、それを読んだとき、文句を言って嘆いている女性たちより、そう言われている男性たちの心理の方がずっと理解できた。多分、今でもそうで、私はそういうガードが堅い男性たちを責める気になれない。ていうか、自分のそういうところを反省する気になれない。
◇相手の全体も、部分も、どう感じているかわからせないというのは、最大の武器でもあって、話がまた横っ飛びに飛ぶと、だから私はヘイトスピーチなんかやるやつの気がしれない。ある法案を撤回しろとか、ある人間を辞職させろとか、そういうこととはちがって、ある国民が嫌いだとか、ある種の性や職業が嫌いだとか、そんなこと人に知られて危険だとは思わないんかと、まずあきれる。そういう点ではいじめだって同じで、誰かを心底嫌いだったら、私が何よりまずすることは、そのことを絶対相手にも周囲にも気づかせないということだ。でなきゃ葬り去れないだろ、どう考えても。ヒットラーのユダヤ人でも、ネロのキリスト教徒でも、アメリカの黒人奴隷でも、嫌悪や憎悪で何かを滅ぼすのって、たいがい簡単じゃないぞ。私がヘイトスピーチやいじめをするやつが嫌いなのは、人を傷つけるとかいうより前に、そんな好き嫌いイコール自分の最大の弱点を、天下にさらして平気でいる危機管理能力のなさと頭の悪さだよ。ほんとに勝つ気があるんかい、相手をほろぼす気があるんかいと言いたくなる。
脱線ついでに言っとくと、私が、じゃ嫌いな相手をどうやって抹殺するかというと、まず幸福にして、私の邪魔をさせないこと、私を適当に(真剣にだとうるさい、ここの加減が難しい)好きにさせること、最終手段は、こっちが好きになってしまうことだ。幸福なやつというのは、だいたいが怠惰で自分勝手だから、どっかに消えてしまってくれるし、私の存在が苦にならない人は私のことを忘れてくれる。最終手段は、こちらの精神を安定させる上で最高、一番効果抜群だ。誰がもう、この残り少ない人生、貴重な時間をさいて、嫌いなやつを嫌いと宣伝して回るかよ。
いやまあそれはどうでもいい。
◇まあそれはともかく、キャリーとビッグを見ていると、その新版ハイト・レポートの内容がよみがえる。
愛している者どうしほど、いつ敵になるかわからないから、この最大の武器はなかなか手放せない。ちなみに私は「あなたが憎い、本当に嫌い」と言えるのは、よっぽど信頼し愛している人でしかない。
だからビッグの、壁の高さ、入りこめなさ、その他もろもろがよくわかる。キャリーがそれを許さない、認めないのはうるさいようだが、だからこそ、彼女を彼は手放せなかったのだろうというのもわかる。おたがいに理解しよう、させようというのを放棄したから成立した「風と共に去りぬ」の愛とはまったく逆の、愛の物語かもしれない。
◇田舎の家から持ってきた、古い踏み台を、祖父のデスクの横においた。今までおいていた椅子と勝手がちがうので、カツジ猫が使ってくれるか心配だったが、わりとすぐに慣れて楽々と上り下りしているので安心した。何しろこいつは、中継地点がないとデスクに飛び上がれないという、猫にあるまじきヘタレである。今朝うっかり椅子をのけたまま、踏み台を置かずにいたら、「のぼれなーい」と言わんばかりに、仕事中の私のところににゃあにゃあ鳴いて訴えに来た。