まっ、いいか
今日は久しぶりに街に出て、伸びすぎていた髪を切り、来年の手帳を買いに行ったらお店にはなくてネット注文しなければならないことを確認し、博多駅のアミュプラザの喫茶店で桃のフルーツパンケーキという2,200円もするものを夕食代わりにかっくらい、帰りに隣町のイオンに寄って、猫と分ける刺し身の半額で安くなってるのを大量に買い込み、何とかバテずに帰って来ました。ただ、カレンダーを買おうと立ち寄った丸善で古書展をしていて、安いのでいい気になってあさっていたら、すみっこに江戸時代の和書が少しあり、「諸国物語図会拾遺」の刊本三冊本が六万円で売っていたのを、つい買ってしまった。車の修理費、ポンプの修理費、自費出版の費用などなど、またしても老後の貯金をとりくずさねばならないこの状態で、我ながら痛恨のミスです。まあ後悔はしてないけどさ。
それにしても死ぬまでに時間的に読めるわけない叢書や全集が書庫にうなっているというのに、私はいったいどこまでいつまで国文学者をやるつもりなんだろう。第一線の研究をめざしつづけるつもりなんだろう。それともこれは、あれかしら、もういくら何でもそろそろ小説書きには一段落つけて、専門の研究に戻れ、戻れないまでも、そっちに行く方向の途中の道でのたれ死にしろという、天の声なんだろうか。
家事も庭仕事も、創作もちょこちょこやってる研究も、友人知人とのおしゃべりも、猫とのけんかも、どれも遊園地みたいに楽しくて、まったく不満はないけれど、いかに何でもそろそろ、やることをしぼらなくてはいけないのかなあ。いやもうすでに十分しぼってるつもりではあるのだけれど。
掃除機をかけた床はまだきれいだ。これが汚れてしまう前に、ベッドに積み上げて下ろした書類や本を片づけてしまいたいのだが、なかなか進まない。読まなくてはならない、読みたい本をパソコンの横の小机に積み上げたら、塔のような高さになった。どうしてくれよう。
とにかく読みまくったれと取り上げて今読んでるのは、一番軽くてしょうもない東野圭吾の初期のミステリだ。もともと買う気でもなかったのに、店頭で平積みの売り場の上に積み上げた雑読候補の本をレジに持って行くときに、まちがえて、一番下に入れてしまって、レジで断るのがめんどくさくて買ってしまった一冊だ。別に悪くはないのだけど、拒否感があるほど好みじゃないこともないけど、初期のものだけに荒削りで雑で、まあそこがいいんだろうとあきらめつつ読んでいる。文章に酔えないから、一気読みができないのだ。時間つぶしという点ではコスパの点ではいいかもしれない。
ご近所の方が「今年は暑くて育ちきらなくて小さいけど」とどっさりわけて下さったゴーヤが冷蔵庫を占領していて、焼き飯やサラダに使いまくっておいしかったのが、とうとう、そろそろ数本になった。ネットで見つけた超かんたんなレシピを試してみたいのに、また明日も手慣れた焼き飯を作ってしまいそうだ。
お米も若い人が、「直方にはまだ売ってますよ」と、五キロ買ってわざわざ届けて下さった。大感謝。これでしばらくは大船に乗った気で白いごはんが食べられる♪