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まんまるな月。

◇よく見なかったから、「ほぼ」まんまるな月かもしれない(笑)。とにかく、よくおとぎ話に書いてあるように、金貨のようにぴかぴか光って丸く空に浮かんでいる。おかげで、あたりが明るくて、さっき帰ってきた時に、庭の金網の中から出迎えたカツジ猫の毛並みも顔もよく見えた。

昨日と今日の二日間は、近くのグローバルアリーナとかいう競技場か公園みたいなとこで、花火大会だった。入場券を買って駅から往復バスが出るとのことだったが、そんなことしなくても、近くの道を車で走れば何か少しは見えるだろうと思って、ゆうべ出かけてみた。コンビニでお金を払う用事があったので、会場に近いコンビニに寄ったら、そこからちょうど花火が見えて、皆が車をとめて見物していた。赤ちゃんや小さい子どもを連れた若い人たちが多かった。花火はきれいだったが、外で立っていなくてはならなかったので30分ぐらいで引き上げた。

今夜も夕食を食べたあと、開始時間はかなり過ぎていたが、まあ少しでも見ようかと、車で出かけて見た。すると、わりと家の近くの道からも見えて、むしろそこからの方が山がじゃまにならずに、きれいに見える気がしたので、路傍に車をとめて、シートを倒して寝ながら見物するというぜいたくをした。あちこちに、そうやって車をとめて見ている人や、橋の上や家の前でながめている人たちもいた。田舎は空が広いから、けっこうな遠くからでもこうして見物できるのがいい。

◇昨日、わりと近くで見たときは、回りの空の暗さや広さに比べると花火は小さく見えて、やはり大濠公園の交差点で目の前いっぱいに広がるのを見た迫力にはおよばないなと思ったが、今夜はそれよりかなり遠くで、実際にはもっと小さく見えているはずなのだが、逆に空が一面に広いせいか、そのかなたに広がる花火の存在感は印象的で、かえって大きく見えた。終わって車を返すときも、心が妙に華やいで昂揚していた。漆黒の夜空に宝石をまいたように輝く花火は、やはりとてもいいものだ。人間はすばらしいものを作ったなあと思わずにはいられない。

江戸時代の花見の紀行は、花そのものよりも、その満開の時期に行きあえるように工夫する自分たちの行動を熱心に描くことが多いけれど、花火もそれと同じだ。美しいものを見ようと工夫し行動する、その冒険が楽しいとつくづく思う。

◇仏間(この名前はあんまり実態を反映しないし、ちょっと面白くないので、何か別の名をつけたいのだがなあ)での読書で目下読んでいる「アルトゥーロの島」は、父親が息子と二つちがいの若い妻を連れてきて、この妻の素朴さとたくましさと善良さが何だかとても魅力的でわくわくする。この父も息子も、かつての父の友人の老人も、皆すごく残酷なところがあるのだが、その残酷さは私にもあるもので、とてもよく理解できる。この妻にはそれがない。彼女を女性とか庶民とかの代表として見ては絶対にいけないのだが、そういうものと共通する抱きしめたいほどのいとおしさを感じる。こういう存在を、私は本当に好きなのだ。甘えたいし、甘えさせたい。命がけで守ってやりたい。すごいな、こんな人間をこんなに具体的に描き出せるなんて。

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カツジ猫