むかつくコマーシャル
昨日あたりの豪雨で宗像の道路が川になってる映像が、ニュースで流れたりしたものだから、いろんな人から心配していただいた。幸いわが家はどっちかというと高い土地にあるので、庭に水たまりができたぐらいで、どうという被害はなかった。しかしそろそろ雨もやまって猛暑になりそうな気配だから、かねて気にかかっていた、鉢にあふれ出しているポインセチアを庭の水たまりに穴を掘って地植えしてみた。うまく根付くといいけど、枯れちゃうかなあ。手のひらに乗りそうな小さな鉢をスーパーで買って来たのが数年前、鉢を一度大きくした以外は放置していたら、めちゃくちゃ伸びて広がってしまって、もはや何だかわからない。
ついでにこれも庭の鉢に植えていてあふれていた、濃い青のアジサイも横庭に地植えした。これまた何とか根付いてくれるとうれしいのだが、どうかなあ。廊下にかけていた、ポトスの鉢も、庭に下げることにしようと思っているが、これは明日だ。
夕方から上の家で、せっせと古紙や手紙の仕分けと処分にはげんだ。でもこの作業、時間ばっかり取って、ちっとも目に見える成果が出ない。いいかげんにうんざりして来た。何しろ大学時代からの友人知人からの手紙がたまっていて、しかも昔はスマホもメールもラインもSNSもないのだから、皆もう、何十枚もの手紙を普通に書いてよこしてるのよ。本の感想、人生相談、どれももう、本当に重い内容。どーせ私も同じような手紙を書いて出してたに決まってるから寒気がする。
それにしても、昔の若者はこれだけ長い文章を書き、考え、思索をめぐらし自己を分析していたのか。私は自分自身も含めて昔の若者はちっとも好きじゃないのだが、こんなものを朝から晩まで浴びるほど読んでいると、今のコスパ第一のスマートな若者たちの世界と、何かもう人間のというか世間の脳やしくみが、入れ替わってしまっているのじゃないかという気さえ、ちょっとしてくる。手紙の二三通を読んだら、今の小説一つ読んだよりも重厚感がある。どうかしたら、今どきのライトノベルよりも、皆、書いてることが鋭くて深くて重い。こんな手紙を普通に読みながら、私はよくも元気で生きてきたよなあ。読めば読むほど、昔に帰りたくはない(笑)。
とにかく、そういう時間旅行をしていると、何だかがっくり疲れてしまう。へとへとになって下の家に戻ると、一人ぼっちで不満な猫が、ぶすくれて待っていて、べたべた甘えてくる。何かもう、この年になって、私の精神生活、濃密すぎないか。もうちょっと空虚で淋しくて静かであってもいいような気がするのは、わがままってもんかいな。
ナスとさんまの缶詰を炒めたおかずがおいしくて、夕食をつい食べ過ぎる。なぜか猫までがさんまの缶詰がお気に召したらしく、けっこう私から横取りして食べた。その後、でれっとプロ野球など見ていたら、私のきらいな生協のCM(変なしりとりの最後に無駄に健全そうな兄ちゃんがしょうもない回答をして失敗するやつ。くり返されると、なぜかものすごく不快になって一生涯生協で買い物はしないとまで思ってしまう。何であそこまで腹が立つのかな。自分でも謎だ)が始まって、思わずチャンネルを変えてしまい、また戻したりして忙しい。