めでたいボケ方?
元同僚もブログで書いてたけど、仕事をしていないと、日にちや曜日がわからなくなる。「いつこの日が消えた?」ということも多いが、今日はその逆でめでたくて、なぜか私は木曜日を忘れて金曜日が来たつもりでいた。まる一日もうけた気になって、あいかわらず猛暑だけれど、えいとばかりに九州国立博物館の国宝展に出かけた。あそこは太宰府にあって、太宰府といえば、よそより暑いのが普通で、自殺行為かもと思ったけど、まあほとんどは車の中で涼しいわけだし、ドライブを楽しんで、博物館のロビーでお茶でも飲んでくれば気分転換にもなろうかと、黄色い愛車を久しぶりに走らせた。
猛暑のせいか、道も博物館もそんなに混んでいなくて、古い梵鐘や埴輪や剣や絵巻をながめて目の保養をした。お金がないから、図録だけ買って帰ろうと思って出口の売店をのぞいたら、ばかでかい鬼瓦のふわふわクッションがずらりと並んでいて、どうしても欲しくなり、いつもなら買う図録もハガキもファイルもマグネットも買わずに、六千三百円のそのクッションだけ買って帰った私もバカだ。まあ、あそこ、駐車場まで散歩道と称する長い坂道があって、この前図録の重いのを買って帰ったら死ぬ目にあったので、ふわふわクッションに心が惑ったのもしかたがないっちゃあ、しかたがない。
レジでお金を払いながら、つい「私、自分で買っといて言うのも何ですが、よくこんなもの作りましたね」と言ってしまったら、スタッフの一人が「おほめのことばと受け取らせていただきます」とにこやかに応じた。そして、「こんなものきっと、一生の内で二度とお目にかからないと思います」と保証してくれた。そうだろうよ。

でもいいのだよ、なかなか。国宝展は八月末までやってるし、売り切れることもあるまいから、もう一度行って、もう一つ買うんじゃないかと、自分で自分が恐いわあ。
もとになってるのは、この国宝の鬼瓦なんですけどね。なかなかいい線行ってると思われませんか?

さてと今夜は、面白そうだからと楽しみにとっておいた、いただきものの本を数冊一気読みしなくちゃいけない羽目になったし、おかずも作って、猫にブラシもかけなきゃならないし、まあとても全部できるわけはないなあ。「椿説弓張月」の感想も書きたいし、しょうもない話題も例によっていろいろあるのだが、とにかく庭の水まきをしないと。
あ、ひとつだけ、いやふたつだけ。自民党の今後がどうなろうと私に責任はないし、いくら何でもあの党にでも、ちゃんとした人は何人かはいるはずだが、それにしても、総理の退陣を要求する人が、パーティーでビキニの女性のお尻にお札をねじこんでるような映像がXでしっかり公開されてるようなのをはじめとして、あまりにも恥ずかしい面々なのは見ていてもこっちがつらい。それと、そういう人たちの尻馬にのってか何かで、総理退陣の誤報を、ごていねいにも号外まで出した、読売と毎日だっけ、新聞社は、いつになったら、謝罪をするんだろう。いくら自民党には何をしてもいい、国民は支持してくれると思ってるとしたって、ちょっと読者をなめてないかい。
もうひとつ、飢えて死ぬ寸前の子どもの写真がばんばん世界に流れているのに、「ガザに飢餓はない」と言ってのけるネタニヤフさんは、もうほんとに末期症状なんてもんじゃないぞ。さすがのトランプが「あの写真がフェイクとは思えない」とガザの食料支援に乗り出すとか、フランスやイギリスがパレスチナを国家として認める方向に動いてるとか、イスラエルの国内でも二つの人権団体がネタニヤフに抗議の声をあげたとか、いくら何でもそりゃそうだろうとしか言いようがない。
自民党の青年部やらネタニヤフさんやら、見ててやりきれないのは、党や国の未来や将来を考えて行動発言してるとはどうしても思えないことだ。もしかして、この人たちが一番、人生に希望を持っていないのじゃないかとまで、こっちはつい思いたくなる。